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タイニー・グライムス

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タイニー・グライムス
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ロイド・タイニー・グライムス英語: Lloyd "Tiny" Grimes1916年7月7日 - 1989年3月4日[1])は、アメリカ合衆国のジャズおよびリズム・アンド・ブルースのギタリスト兼歌手、エンターテイナー。4本弦のエレクトリック・テナー・ギターを使用。1943年から1944年までアート・テイタム・トリオのメンバー。その後自身のバンドを率いて活動。チャーリー・パーカービリー・ホリデイなど多くの一流ミュージシャンと共演やレコーディングを行った[1]

概要 タイニー・グライムス, 基本情報 ...
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略歴

要約
視点

アメリカ合衆国バージニア州ニューポートニューズに生まれ、ドラマー及びピアニストとしてキャリアを開始し、ワシントン DCニューヨークで演奏。1938年に4弦のエレクトリック・テナー・ギターに転向[1]。1940年に『キャッツ・アンド・ザ・フィドル英語: Cats and the Fiddle』にギタリスト兼歌手として参加。1943年にアート・テイタム・トリオにギタリストとして参加し、テイタムと数多くのレコーディングを行い名声を獲得[1][2]

アート・テイタム・トリオを離れた後、グライムスはニューヨークで自身のグループで数々のレコーディングを行い、ボーカリストのビリー・ホリデイを含む多くの一流ミュージシャンと共演した。

1944年には自身のグループで若きチャーリー・パーカーをフィーチャーした『タイニーズ・テンポ (Tiny's Tempo)』、『レッド・クロス (Red Cross)』、『ロマンス・ウィズアウト・ファイナンス (Romance Without Finance)』、『アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー・ジャスト・ザ・セイム (I'll Always Love You Just the Same)』の4曲をレコーディングした。最後の2曲はグライムスの歌をフィーチャーしている[1][3]

1947年にグライムスは『タイニー・マック・グライムス・アンド・ヒズ・ロッキング・ハイランダーズ』というR&B志向のバンドを結成し、キルト姿で演奏し、『ロッホ・ローモンド英語: Loch Lomond』のジャズ・バージョンをヒットさせた。このグループはテナーサックス奏者のレッド・プライソック英語: Red Prysockと歌手のスクリーミン・ジェイ・ホーキンスをフィーチャーし、ベニー・ゴルソンジョン・ハーディ英語: John Hardeeも在籍していた[1]

グライムスは1970年代後半まで自身のグループを率い、コールマン・ホーキンスジョニー・ホッジスイリノイ・ジャケット英語: Illinois Jacquetペッパー・アダムスロイ・エルドリッジ、その他の著名な演奏家たちと、ブルースをベースとした演奏をプレスティッジ・レコードで録音し[1]、1977年にはアール・ハインズも参加した[4]

1952年3月21日、グライムスはオハイオ州クリーブランドアラン・フリードが主催した第1回ムーンドッグ・コロネーション・ボール英語: Moondog Coronation Ballポール・ウィリアムズ英語: Paul Williamsと共同ヘッドライナーを務めた。このコンサートは世界初のロックンロール・コンサートであると言われている[5]

1953年には、R&Bグループによる最初のオリジナル・ロックンロール・レコードと呼ばれるクロウズ英語: The Crowsのヒット曲『ジー英語: Gee』にセッション・ギタリストとして参加した可能性がある[6]

1989年3月4日、髄膜炎のためニューヨーク市で死去。72歳没[1][7][8]

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ディスコグラフィ

リーダーアルバム

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出典

外部リンク

ギャラリー

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