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ドノバン・カリージョ
メキシコのフィギュアスケート選手 (1999-) ウィキペディアから
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ドノバン・ダニエル・カリージョ・スアゾ(スペイン語: Donovan Daniel Carrillo Suazo、1999年11月17日 - )あるいはドノヴァン・カリーヨは、メキシコのフィギュアスケート選手(男子シングル)。2022年北京五輪メキシコ代表。
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人物
1999年11月17日生まれ。3人の姉妹がいる。
8歳のときに姉にスケートリンクに連れられて行ったことがきっかけで始めた。スケート教室にいた女の子を好きになりレッスンに通い始めたが、その子は数年で辞めてしまった。長らく連絡を取っていなかったが、北京オリンピックSP後に祝福の連絡があったという[1]。
幼少期にはダイビング、体操、空手、サッカー、バレエなどをしていた。「メキシコではフィギュアスケートは一般的な競技ではない。メキシコでは8歳になるとサッカーに夢中になるが、僕はすぐにサッカーが自分に合わないことに気づいた。とても下手だった」と語っている[2]。
国内に満足な施設や環境が無いため、2023年にカナダへ拠点を移すまではショッピングモール内の公共のスケートリンクで練習していた[3]。
憧れのスケーターはハビエル・フェルナンデス。
経歴
要約
視点
初期
8歳のとき姉の影響でスケートを始め、スケート教室にいた女の子が好きになりレッスンに通うようになった[1]。2013年リンクの閉鎖に伴い、グアダラハラからレオンに拠点を移した[2]。
2013年9月のジュニアグランプリシリーズ(JGP)メキシコ杯で国際大会デビュー。結果は15位。
2016-2017シーズン
世界ジュニア選手権初出場。SP(ショートプログラム)で27位となり上位24人が進めるFS(フリースケーティング)進出を逃した。
2017-2018シーズン:シニア国際大会デビュー
ジュニアクラスとシニアクラス両カテゴリに出場。
8月に開催されたフィラデルフィアサマーインターナショナルのシニアクラスに出場し、シニア国際大会デビュー。JGPブリスベンでは7位だった。2018年平昌オリンピック出場枠の最終選考会であるネーベルホルン杯では14位。オリンピック出場枠獲得はならなかった。2018年1月の四大陸選手権ではSP22位と出遅れるもFSでは17位、総合18位であった。3月の世界ジュニア選手権ではSP18位。昨年は果たせなかったFS進出を決め、総合21位。2週間後に行われたシニアの世界選手権にも出場。結果は総合22位であった。
2018-2019シーズン
JGPブラチスラヴァでは11位。四大陸選手権は昨年より一つ順位を上げて17位であった。足首の怪我を抱えながら挑んだ世界選手権ではSP33位。FS進出を逃した。
2019-2020シーズン
フィラデルフィアサマーインターナショナルで国際大会初めてのメダルとなる銀メダルを獲得した。
2020-2021シーズン
2021年のチャレンジカップで9位に入り、世界選手権に出場するための最低技術点を獲得し出場資格を得た。世界選手権では自己最高の20位に入り、2022年北京オリンピックにおけるメキシコの出場枠を獲得した。
2021-2022シーズン:北京オリンピック出場
北京オリンピックに出場。メキシコのフィギュアスケート選手としては30年ぶりのオリンピック出場であった。開会式ではメキシコ選手団の旗手も務めた。SPでは冒頭の4回転トウループやトリプルアクセルをきれいに決め自己ベストを更新する79.69のスコアで19位。メキシコのフィギュアスケート選手として初めてオリンピックのFSに進出し、キス・アンド・クライで喜びをあらわにした。FSではジャンプの乱れがあったもののスピンとステップは最高のレベル4の評価を受け、FSの得点および合計得点でも自己ベストを更新し、総合22位であった。
シーズンの最終戦となる世界選手権にも出場予定であったが、スケート靴のロストバゲージに遭い、大会を棄権することとなった[4]。
2023-2024シーズン
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主な戦績
プログラム使用曲
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脚注
参考文献
外部リンク
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