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ハビエル・フェルナンデス
スペインのフィギュアスケート選手 (1991 - ) ウィキペディアから
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ハビエル・フェルナンデス・ロペス(スペイン語: Javier Fernández López, 1991年4月15日 - )は、スペインの元フィギュアスケート選手(男子シングル)。マドリード出身。
主要な戦績は、2018年平昌オリンピック銅メダル、世界選手権2連覇(2015年・2016年)、2014年ソチオリンピック4位、2010年バンクーバーオリンピック14位、欧州選手権7連覇(2013–2019年)など。
ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会において、ショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した史上2人目の男子選手である。
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人物・経歴
要約
視点

(2011年ロステレコム杯にて)

姉のラウラが始めたのをきっかけに6歳でフィギュアスケートを始める[1]。2006年以来スペイン男子シングル競技の第一人者である。スペイン選手権ではジュニアクラスでの優勝を続けたが、この間に男子シングルでシニアクラスの競技者はのべ一名しかおらず、フェルナンデスなどジュニアクラスの選手のほうがはるかに高いスコアを記録していた。
4回転はトウループとサルコウの2種類を跳ぶ事ができ、2011年の世界選手権フリースケーティングでは、サルコウにターンが入ったものの、両方を成功させた。
2008年、当時17歳だったフェルナンデスはニコライ・モロゾフのサマートレーニングキャンプに参加し、モロゾフにアメリカに渡ってトレーニングをしないかと誘われたことをきっかけに、ニュージャージー州ハッケンサックに拠点を移し、モロゾフに師事する[1]。その1年半後、モロゾフがアメリカを離れてロシアに帰ることにしたため、モスクワやラトビア、イタリアなど世界各地のリンクを数か月ごとに移動しながら練習することになり、拠点の定まらない生活に疲弊したと語っている[1]。
2009-2010シーズン、オリンピック初出場のバンクーバー五輪では14位。翌で2011年、満足な指導を与えてくれないとして、コーチをニコライ・モロゾフからブライアン・オーサーに変更。
2011-2012シーズン、スケートカナダで2位となり、初めてグランプリシリーズの表彰台に立った。さらにロステレコム杯でも2位となったことで、スペイン人として初めてグランプリファイナルに進出した。ファイナルでも2種類の4回転ジャンプをすべてクリーンに決め、3位と好成績を収めた。しかし、続く欧州選手権ではFSでジャンプミスが相次ぎ、6位に終わった。世界選手権では5位以内に入ることを目標とし、SPで5位に付けるも、FSでスタミナ切れからミスが目立ち14位と失速し、9位に後退した。
2012-2013シーズン、スケートカナダで優勝。スペイン人のフィギュアスケート競技において、ISU主催の大会での初の金メダルとなった。グランプリファイナルではパトリック・チャンに僅か0.04点及ばずメダルを逃すも、FSでは3度の4回転ジャンプに成功した。3度の4回転ジャンプに成功したのは2006年ロシア杯でブライアン・ジュベールが達成して以来6年ぶり、5人目である。欧州選手権ではSPでは2位だったが、FSで逆転し優勝。スペイン人初めての欧州王者に輝いた。世界選手権ではSPで7位と出遅れたがFSで挽回して総合3位に。スペイン人で初めてとなる世界選手権の銅メダルを手にした。
2013-2014シーズン、2013年NHK杯で5位、ロステレコム杯3位で、3年連続のGPファイナル進出はならず。その後のスペイン選手権で3年連続優勝、続く欧州選手権で2年連続優勝を果たし、2大会連続五輪代表となる2014年ソチオリンピック選出となった。そのソチ五輪・男子シングル(個人戦)のSPは3位につけた。しかしFSでは終盤の3サルコウがシークエンス扱い・4回目のコンビネーションとなるザヤックルール違反を犯してしまい、無得点になるミスが響き総合4位入賞に。総合3位のデニス・テンとは僅か1.18のポイント差で、惜しくも五輪メダル獲得はならなかった。世界選手権ではSPで自己ベストを更新し2位、FSでは3ルッツのコンボが1ルッツとなるミス等で順位を落とすも、トータルスコアで自己ベストをマークし総合3位、2年連続で銅メダルを獲得した。
2014-2015シーズン、スケートカナダで2位、ロステレコム杯ではグランプリシリーズ2勝目を果たす。地元スペインのバルセロナで開催されたグランプリファイナルではSPで5位と出遅れるも、FSで挽回し銀メダルを獲得した。欧州選手権ではアレクサンドル・ファデーエフ以来26年ぶりの3連覇を達成した。世界選手権ではスペイン人の選手としては初めて金メダルを獲得した。
2015-2016シーズン、中国杯、ロステレコム杯とグランプリシリーズで初めて連勝。2年連続で地元スペイン開催となったグランプリファイナルでは、FSで初めて200点を超えるなどし、前年と同じく羽生結弦に次ぎ銀メダルを獲得した。スペイン選手権のSPでは自身初の2度の4回転ジャンプに成功した。欧州選手権ではSPで自身初めて国際大会で100点を突破し1位。FSでも1位となりトータルスコアでは自身初めて300点を超えた。2位に60点以上の差をつけて圧勝し、オンドレイ・ネペラ以来44年ぶりの4連覇を達成した。世界選手権では、SPで12.04点の差をつけられ2位スタート。FSでは全てのジャンプをクリーンにランディング。振付・音楽の解釈の2項目で10.00点満点を得る高評価で逆転優勝を果たした。
2016-2017シーズン、グランプリシリーズを連勝するも、グランプリファイナルでは4位となり、表彰台を逃した。欧州選手権では5連覇を果たした。世界選手権はSPで自己ベストを更新し首位に立つも、FSのジャンプが乱れ4位に順位を落とし、5年ぶりにメダルを逃した。
2017-2018シーズン、3大会連続五輪出場となる平昌オリンピック(個人戦)では、SPでほぼ完璧な演技を披露し、羽生結弦に次ぐ2位につけた。FSでは、中盤での4回転サルコウが2回転に抜けてしまったが、3位入賞を果たして念願だった五輪初の銅メダルを獲得した。現役続行を表明したものの、1か月後の世界選手権へは出場を辞退した。
2018年11月、2019年1月開催の欧州選手権を最後に引退することを表明した[2]。同大会では7連覇を達成し、1929年~1936年に8連覇したカール・シェーファーに次ぐ男子シングル歴代2位の記録を以って競技生活を締めくくった。
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主な戦績
- 2009-2010シーズンから
- 2008-2009シーズンまで
詳細
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プログラム使用曲
要約
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脚注
外部リンク
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