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ニコラ・グルビッチ
セルビア出身のバレーボール選手 ウィキペディアから
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ニコラ・グルビッチ(セルビア語: Никола Грбић[1], ラテン翻記:Nikola Grbić、1973年9月6日 - )は、セルビアの男子バレーボール選手、指導者。元セルビア代表。
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来歴
要約
視点
ズレニャニン出身。ユーゴスラビア国内でのプレーを経て、1994年にヴォイヴォディナ・ノヴィサドからイタリア・セリエAのモンティキアーリへ移籍。1995年にユーゴスラビア代表に選出され、1996年アトランタオリンピックで銅メダルを獲得した[2]。1997年欧州選手権では準優勝に貢献し、同年欧州バレーボール連盟の年間最優秀選手に選出[2][3]。ヨーロッパナンバーワンのセッター[3]として出場した1998年世界選手権で銀メダルを獲得した[2]。
1997年から在籍したセリエA・クーネオでは1999年にコッパ・イタリア優勝、トレヴィーゾ在籍時の2000年にもコッパ・イタリア優勝を飾り、トレヴィーゾでは1999-2000年欧州チャンピオンズリーグ優勝を経験[2]。同年ユーゴスラビア代表として兄ウラジミール・グルビッチと共に2度目の出場を果たした2000年シドニーオリンピックで金メダル獲得に貢献した[2]。

金メダルを獲得したシドニーオリンピック以降の2000年代初頭は「世界一のセッター」として国際的に高い評価を受け、初優勝を飾った2001年欧州選手権[2]、2003年欧州選手権と、銅メダル獲得の2003年ワールドカップでベストセッター賞を受賞[4]。セルビア・モンテネグロ代表のキャプテンとして2004年アテネオリンピックに出場した。
2005年に手指のケガや足首の故障に相次いで見舞われ、3大会連続ベストセッター賞を受賞した2005年欧州選手権の後、翌年にアキレス腱の手術を受けたが、その後もベテランセッターとして活躍し、2008年北京オリンピックにセルビア代表のキャプテンとして4大会連続オリンピック出場を果たした。
2007年からはセリエA・トレントでプレーし、2007-2008シーズンのリーグ初優勝と、翌シーズンの欧州チャンピオンズリーグ初優勝に貢献[2]。2009年に移籍したクーネオにおいても、2009-2010シーズンのクーネオのリーグ初優勝に貢献した[2]。自国開催の2009年ワールドリーグでは2大会連続準優勝とベストセッター賞を受賞[5]。37歳での出場となった2010年世界選手権では1998年大会の銀メダル以来、3大会ぶりとなる銅メダル獲得と[2]ベストセッター賞を受賞した[6]。1995年から2010年まで代表を務めた間に[7]、獲得したメダル数は19個に上る[2]。
2013年にロシア・スーパーリーグのゼニト・カザンへ移籍し、自身にとって3度目となるリーグ優勝を果たす[2]。現役引退後の2014年5月、セリエAのシル・サフェーティ・ペルージャの監督に就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせた[8]。
2015年2月、セルビア代表監督に就任した[7]。
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球歴
所属クラブ
OK GIKバナト(1987-1988年、1989-1990年)
OKヴォイヴォディナ・ノヴィサド(1993-1994年)
ガベカ・モンティキアーリ(1994-1995年)
パッラヴォーロ・カターニア(1995-1996年)
ガベカ・モンティキアーリ(1996-1997年)
クーネオVBC(1997-1999年)
シスレー・トレヴィーゾ(1999-2000年)
アシステル・ミラノ(2000-2003年)
パッラヴォーロ・ピアチェンツァ(2003-2007年)
トレンティーノ・バレー(2007-2009年)
ピエモンテ・バレー(2009-2013年)
ゼニト・カザン(2013-2014年)
指導歴
シル・サフェーティ・ペルージャ(2014-2015年)
バレーボールセルビア男子代表(2015-2019年)
ヴェローナ(2016-2019)
ZAKSAケンジェジン=コジレ(2019-2021年)
シル・サフェーティ・ペルージャ(2021-2022年)
バレーボールポーランド男子代表(2022年-)
脚注
外部リンク
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