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ノーウホロド=シーヴェルシクィイ
ウクライナの町 ウィキペディアから
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ノーウホロド=シーヴェルシクィイ(ウクライナ語: Но́вгород-Сі́верський;意訳: 「シヴェーリアの新都」)は、ウクライナのチェルニーヒウ州のノーウホロド=シーヴェルシクィイ地区にある都市。ドニプロ川の支流、デスナー川の河岸に位置する。
面積は11.81kmで、2022年現在の人口は12,375人。
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歴史
10世紀、東スラヴ人シヴェーリア族の地において、キエフ大公国の都市として創建された[2]。11世紀後半以後、大公国の分国であるシヴェーリア公国の中心地であった。1239年にモンゴル帝国の軍勢によって略奪され、著しく衰退した。その後、ジョチ・ウルスに属していたが、1350年にリトアニア大公国の都市となった。1503年にモスクワ大公国によって征服されたが、1618年にポーランド・リトアニア共和国に奪い返された。1620年に自治権をもらった。1648年、フメリニツキーの乱のきっかけにコサック国家に属するようになった。コサックのノーウホロド=シーヴェルシクィイ百人隊区としてニージン連隊(1649年‐1663年)とスタロドゥーブ連隊(1663年‐1782年)に編成された。18世紀末にロシア帝国の小ロシア県、19世紀初めにチェルニゴフ県の郡庁所在地となった。1920年にウクライナ社会主義ソビエト共和国の都市となり、1932年にチェルニーヒウ州ノーウホロド=シーヴェルシクィイ地区の都市となった。
2020年7月18日まで、ノヴホロド=シヴェルスキーは州重要都市に指定されており、ノヴホロド=シヴェルスキー地区の中心地であったにもかかわらず、同地区には属していなかった。ウクライナの行政改革の一環として、チェルニーヒウ州の地区が4つに削減され、ノヴホロド=シヴェルスキー市はノヴホロド=シヴェルスキー地区に統合された[3]。
2022年2月24日から4月2日まで[4]、ノーウホロド=シーヴェルシクィイはロシア軍に占領された。これにより市内で人道危機が発生し、多くの民間人が避難を余儀なくされた[5]。ロシア軍は戦車で市の出入り口を封鎖し、救急車の通行も許可しなかった。検問所では地元住民の携帯電話が強制的に没収され、壊されたことあった。市議会はドンバス戦争参加者に関する文書を破棄した、ロシア軍から守るため[6]。2022年5月12日にノーウホロド=シーヴェルシクィイの学校がミサイル攻撃を受け、3人が死亡、19人が負傷した[7]。
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人口
2001年ウクライナ国勢調査によると、ノヴゴロド=セヴェルスキーの人口の93.73%はウクライナ人、5.33%はロシア人で、母語が以下の通り:[8]
文化財
- 城山(12世紀‐13世紀の城跡地)
- 救世主変容修道院(11世紀)
- 救世主変容大聖堂(18世紀)
- 聖ムィコラーイ教会(18世紀)
- 生神女就寝大聖堂(18世紀)
- 凱旋門(18世紀末):ロシア女帝エカチェリーナ2世の訪問を記念するアーチ。
注釈
参考文献
外部リンク
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