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10世紀

西暦901年から西暦1000年までの100年間 ウィキペディアから

10世紀
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10世紀(じっせいき)は、西暦901年から西暦1000年までの100年間を指す世紀1千年紀における最後の世紀である。

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江南の爛熟。画像は顧閎中が描いた「韓煕載夜宴図(北京故宮博物館蔵)」。五代十国南唐の後主李煜時代の宮廷の優雅な様子がしのばれる。
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「世界の宝石」コルドバ。画像はコルドバにあるメスキータの円柱の森。10世紀末までに歴代の後ウマイヤ朝カリフによって改築が続けられ今ある姿となった。
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ノルマンディー公ロロ。もともとは北欧のヴァイキングの指導者であったが、西フランク王からセーヌ川河口の領土を分与され定着した。彼の直系子孫にノルマン朝初代のイングランドウィリアム1世がおり、この血脈は現在のイギリス王室にまでつながっている。画像はルーアン司教ギーに迎えられるロロ。
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できごと

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清涼殿落雷事件。この落雷は昌泰の変大宰府に流された菅原道真の怨霊によるものと恐れられ、道真は北野天満宮の祭神となった。画像は「北野天神縁起絵巻」。
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承平天慶の乱。平安京での政争をよそに地方では在地領主となった皇親やその他の門流が勢力を拡大していた。平将門藤原純友の反乱もその現れであったが、反乱は鎮圧された。画像は東京大手町にある平将門の首塚
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平安京と「物の怪」。平安京の統治機構が弛緩するとともに、度重なる天災や疫病に疲弊した人々はその原因となる「物の怪」を一層恐れるようになり、密教による加持祈祷陰陽道に基づく物忌み方違えを重視するようになった。画像は陰陽師安倍晴明の疫病神調伏を描く「泣不動縁起絵巻(京都・清浄華院蔵)」。
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かな文字の誕生。日本独特の美意識の発展とともにかな文字が成立し、和様の書が生まれた。画像は万葉仮名から平仮名へと移行する段階の「草仮名」で書かれた「秋萩帖東京国立博物館蔵)」で小野道風によるものと伝わる。
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契丹人の伸張。ウイグル帝国の崩壊や、唐王朝滅亡後の混乱で内陸アジアで勢力を拡大したのがモンゴル系の契丹人であった。その後、五代から宋にかけての華北政権を威圧し国勢を整えることになる。画像は契丹人を描いた「胡人出猟図」(台北国立故宮博物院蔵)。
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乱世の宰相馮道。五代十国時代の後晋から後周の時代の政治家で、五朝八姓十一君に仕えたことで有名。後世、朱子学の立場からは変節漢として評判が悪いが、李卓吾のような思想家の評価は高い。画像は明代にまとめられた『無雙譜』の挿絵に描かれた長楽老馮道。
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の建国。唐の滅亡以後、半世紀にわたる五代十国の混乱にあった中国も趙匡胤が宋の初代皇帝太祖として即位するに及び安定した時代を迎えた。画像は台北国立故宮博物院所蔵の太祖趙匡胤の肖像。
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マケドニア朝ルネサンス。画像はキリストから加冠される皇帝コンスタンティノス7世の象牙彫刻(ロシア・プーシキン美術館蔵)。東ローマ帝国では古典研究が盛んになり、この皇帝自ら著作『儀式について』『帝国統治論英語版』を残している。
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アトス山。この時期に東ローマ皇帝の庇護を受けてアトスの修道生活が展開した。画像は最も古いメギスティ・ラブラ修道院英語版の教会入り口から望む、アトスのアタナシオスに植えられたとされる樹齢1000年以上のイトスギ(サイプレス)。
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聖公ウラディーミル1世の洗礼。東ローマ皇女アンナとの結婚を期に洗礼を受けキリスト教(東方正教会)に改宗しロシア・ウクライナ史に大きな影響を与えた。画像はキエフ聖ウラディーミル大聖堂(聖ヴォロディームィル大聖堂)にあるヴィクトル・ヴァスネツォフの壁画。
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神聖ローマ帝国の成立。オットー1世が皇帝となり以後代々のドイツ君主が神聖ローマ皇帝位を占めることになった。画像はこの世紀に作られた神聖ローマ帝国の帝冠(ウィーンホーフブルク宮殿蔵)。
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紀元1000年のヨーロッパ。新しい世紀の到来は期待と不安が混じったものだった。画像は950年代に描かれたスペインのサン・ミジャン修道院のベアトゥス『黙示録注解』写本エル・エスコリアル修道院蔵)。
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マジャール人の定着。遊牧民族マジャール人もパンノニア平原に定着し、紀元1000年にはキリスト教を受容してハンガリー王国を成立させている。画像はハンガリー初代国王イシュトヴァーン1世がジュラの街を制圧したことを描く14世紀の年代記の挿絵。
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イェリング墳墓群。デンマークのハーラル青歯王がキリスト教への改宗したことを記念してルーン文字で刻まれた石碑である。
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ケルト十字架。ヴァイキングの襲撃も一段落したこの世紀、タラの王を中心にアイルランド復興が進められた。画像はモナスターボイス英語版修道院遺構で、アイルランド特有の「ハイクロス」と呼ばれるケルト十字架が今も聳えている。
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チチェン・イツァ遺跡。マヤ文明を代表する遺跡で8世紀までに衰退した後に、10世紀に改めて盛んに建設が行われた。画像はククルカンの頭部彫刻が付随した「金星の台座」でその先には「エルカスティージョ(ククルカン神殿)」を眺めることができる。
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シカン文化。ペルー北岸に発展した文化で10世紀から11世紀にはバタン・グランデを中心に金属工芸や織物の産業が組織化されていた。画像はこの文化を代表する「ツミ」と呼ばれる儀式用の刀剣(メトロポリタン美術館蔵)。
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アズハル大学。ファーティマ朝時代にカイロのアズハル・モスク付属大学として設置された世界で最も古い大学である。
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ブワイフ朝の統治。バグダードを制圧すると衰勢のアッバース朝を組み込みイラン・イラクを支配下に置いた。画像はブワイフ朝時代のイランで作られた陶器(ニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵)。
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サーマーン朝の発展。この王朝の時代に東方イスラム世界でのペルシア文化の復興が進んだ。画像はブハラにある中央アジア最古の建造物イスマーイール・サーマーニー廟
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チョーラ朝芸術の最盛期。画像はこの時代を代表する「舞踏の王」ナタラージャとしてのシヴァ神像(ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵)。
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プランバナン寺院群ジャワ島で繁栄した古マタラム王国のバリトゥン王時代に着工され、続く王ダクサによって完成をみたヒンドゥー教の大寺院。
  • 日本では平安時代中期に差し掛かるころである。律令国家体制を支えていた古墳時代以来の在地首長階層と彼らに率いられていた伝統的な地域共同体が急速に没落し、それに依存していた班田戸籍による地方統治や税収が困難となる。この地方社会の変動への対策として地方に赴く筆頭国司(受領)に大きな権限を与え、あらたに経済力を握り台頭してきた富豪層負名に編成し、田堵として公田経営を請け負わせる王朝国家体制への社会変動で律令制は形骸化した。受領の国衙統治において私的武力を蓄えた富豪層を統制する軍事警察力を担う階層として武士が登場することで中世社会への変化が本格的に生じる。

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人物

東アジア

  • 崔胤(? - 904年) - 唐末の宰相・李茂貞から皇帝昭宗奪還のため朱全忠と結び宦官勢力を殲滅・後年朱全忠に殺される
  • 裴枢841年 - 905年) - 唐末の宰相・朱全忠により他の高官とともに白馬で虐殺される(白馬の禍
  • 李振(? - 923年) - 唐末五代の政治家・朱全忠の腹心・唐の昭宗を弑逆し朱全忠に白馬での高官殺害を進言する
  • 李茂貞856年 - 924年) - 唐末五代の節度使・皇帝昭宗を擁して鳳翔遷都を企てるも挫折・唐滅亡後は独立

五代十国

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朱全忠

北宋

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朝鮮

日本

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源経基

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アルプテギーン

ブワイフ朝

ファーティマ朝

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学者・詩人

南アジア

キリスト教世界

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東欧

北欧

アイスランド

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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