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ハーシー・ホーキンズ

アメリカのバスケットボール選手 ウィキペディアから

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ハーシー・R・ホーキンズ・ジュニア (Hersey R. Hawkins Jr., 1966年9月29日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長190cm、体重86kg。ポジションはシューティングガード

概要 引退, ポジション ...
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経歴

ホーキンズはシカゴで生れ、イリノイ州のウェスティングハウス高校からブラッドリー大学へ進学した。大学では全米屈指のスターガードとして名を馳せ、4年次の1988年には平均36.3得点を叩き出してNCAAディビジョンⅠ得点王に輝いた。また、同年ソウル五輪アメリカ代表に選ばれたが、ホーキンズが大会途中で負傷したためアメリカは準決勝でソビエト連邦に敗れて銅メダルに終った。大学通算3,008得点はNCAA史上10位の記録であり、NCAA年間最優秀選手など数々のタイトルを獲得している。

1988年、ホーキンズはNBAドラフト全体6位でロサンゼルス・クリッパーズに指名されたが、直後のトレードでフィラデルフィア・76ersに入団した。1年目は平均15.1得点の成績でオールルーキー1stチームに選出された。76ersでは5シーズンプレーし、チャールズ・バークレーに次ぐ2番手として活躍した。3年目の1990-91シーズンはキャリアハイの平均22.1得点をあげて自身唯一のオールスターに選ばれている。このシーズンには球団史上1位タイの1試合9スティールを記録した。

1992年、バークレーが移籍したことでホーキンズはチーム得点王となったが、翌1993年シャーロット・ホーネッツにトレードされ、2シーズンプレーした後シアトル・スーパーソニックスに移籍した。ソニックスでの1年目となった1995-96シーズン、ホーキンズは平均15.6得点を記録し、ゲイリー・ペイトンショーン・ケンプとともにチームを17年ぶりのファイナル進出に導いた(シカゴ・ブルズに2勝4敗で敗退)。ソニックスでのラストシーズンとなった1998-99シーズンには、コート内外での模範的な活動を評価されてNBAスポーツマンシップ賞を受賞している。

ホーキンズは1999年にシカゴ・ブルズにトレードされたが、怪我のため61試合の出場に留まった。翌年古巣ホーネッツに復帰して1シーズンプレーした後、現役を引退した。NBAでの成績は、983試合の出場で通算14,470得点(平均14.7得点)であった。

引退後は高校バスケットボールチームのアシスタントコーチなどを務め、現在はポートランド・トレイルブレイザーズの選手開発責任者として働いている。

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個人成績

レギュラーシーズン

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プレーオフ

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関連項目

外部リンク

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