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ハートフォード侯爵

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ハートフォード侯爵英語: Marquess of Hertford)は、イギリス侯爵位。

概要 ハートフォード侯爵(第2期), 創設時期 ...

過去に二回創設されており、現存するハートフォード侯爵位はサマセット公爵シーモア家の分流である初代ハートフォード伯爵フランシス・シーモア=コンウェイ1793年グレートブリテン貴族爵位として叙されたのに始まる。本稿では前身のハートフォード伯爵位についても触れる。

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歴史

要約
視点

第1期ハートフォード伯

ハートフォード伯爵位の最初の創設は、1138年頃にギルバート・ド・クレア英語版(-1153)イングランド貴族として叙されたものである。4代ハートフォード伯ギルバート・ド・クレア(?-1230)は、1217年に伯父から5代グロスター伯爵を継承しており、以降ハートフォード伯爵位はグロスター伯爵位と一緒に継承されたが、7代ハートフォード伯・8代グロスター伯ギルバート・ド・クレア英語版1314年6月24日バノックバーンの戦いで戦死した際に後継者が絶えて廃絶した[1]

第2期ハートフォード伯と第4期サマセット公

ついでヘンリー8世の三番目の王妃ジェーン・シーモアの兄にあたるエドワード・シーモア (1506–1552) が、1537年10月18日に2期目のハートフォード伯爵位(イングランド貴族)に叙せられた。彼は1547年1月に即位した甥の幼王エドワード6世の摂政として権勢をふるい、1547年2月16日にはサマセット公爵に叙せられた。しかし政敵の初代ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーとの政争に敗れ、1552年1月22日大逆罪で処刑され、爵位は剥奪された[2][3]

第3期ハートフォード伯と第1期ハートフォード侯

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初代伯(第3期)エドワード・シーモア

初代サマセット公の息子であるエドワード・シーモア (1539–1621)1559年1月13日に新規にハートフォード伯爵に叙されたのが3期目の創設である[4]

その孫である2代ハートフォード伯ウィリアム・シーモア (1587–1660) は、1640年6月3日ハートフォード侯爵(イングランド貴族)に叙せられ、さらに1660年9月13日には曾祖父の爵位サマセット公爵位の復権を認められている[3]

しかしこの第1期のハートフォード侯爵位は4代サマセット公ジョン・シーモア (1646以前-1675)(3代ハートフォード侯・4代ハートフォード伯)が死去した際に継承者が絶えて廃絶した。ハートフォード伯位の方も7代サマセット公・7代ハートフォード伯アルジャーノン・シーモア (1684–1750) が死去した際に継承者がなく廃絶している(サマセット公爵位は初代公爵に遡っての分流である第6代準男爵エドワード・シーモアに継承された)[3]

現存の第4期ハートフォード伯と第2期ハートフォード侯

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初代ハートフォード侯フランシス・シーモア=コンウェイ
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侯爵家邸宅であるラグリー・ホール英語版

4代準男爵エドワード・シーモア英語版(8代サマセット公を継承する6代準男爵の祖父)が後妻レティシア・ポパムとの間に儲けた次男フランシス・シーモア (1679–1732) は、1699年に母の叔母の嫁ぎ先であるコンウェイ子爵(コンウェイ伯爵英語版)コンウェイ家の家名を加えて「シーモア=コンウェイ (Seymour-Conway) 」と改名した。そして庶民院議員を務めた後の1703年3月17日ラグリーのコンウェイ男爵(イングランド貴族)、1712年10月16日コンウェイ=キルルター男爵アイルランド貴族)に叙せられた[5][6]

その息子である第2代コンウェイ男爵フランシス・シーモア=コンウェイ (1718–1794) は、駐フランス大使アイルランド総督などを務め、1750年8月3日ハートフォード伯爵ビーチャム子爵1793年7月5日ハートフォード侯爵ヤーマス伯爵英語版に叙せられた(すべてグレートブリテン貴族[7][8]。これによりハートフォード侯爵家が生まれ、以降彼の男系男子によって継承されていく[7]

初代侯の息子である2代侯フランシス (1743–1822) は、1807年に勅許を得て後妻の家名を加えて「イングラム=シーモア=コンウェイ (Ingram-Seymour-Conway) 」に改姓している。しかしその息子である3代侯フランシス英語版(1777–1842) は改姓していない[7][9]

3代候の息子である4代侯リチャード英語版(1800–1870) には子供が非嫡出子リチャード・ウォレス英語版しかなく、爵位を継承させられなかった(リチャード・ウォレスは新規で準男爵に叙せられている)[7][10]。しかし4代侯は集めた美術品の多くをこの非嫡出子に遺しており、これらはウォレス・コレクションと呼ばれた[7]

一方ハートフォード侯爵位は初代侯にさかのぼっての分流であり、コンウェイを家名にしていないフランシス・シーモア英語版(1812–1884) に継承された[7]

その孫である7代侯ジョージ英語版(1871–1940)エドワード・シーモア英語版(1860-1931)1923年に第16代サマセット公爵位を継承した際に、エドワードの曽祖父とその妻は正規の結婚関係ではなく、したがってエドワードは庶子の子孫にあたるのでサマセット公爵位の継承権がなく、公爵位を継ぐべきは自分であると主張した。この論争と調査は長く続き、貴族院にも持ち込まれたが、2年後にハートフォード侯の主張は退けられ、エドワードの16代サマセット公爵位継承が確定している[11]

2016年現在の当主はその孫である9代侯ヘンリー・シーモア英語版(1958-)である[7]

本邸はウォリックシャーオルスター英語版ラグリー・ホール英語版。家訓は「信頼と愛によって (Fide et Amore) 」[7]

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現当主の保有爵位

現当主の第9代ハートフォード侯爵ヘンリー・シーモア英語版は以下の爵位を保有している[7]

  • 第9代ハートフォード侯爵 (9th Marquess of Hertford)
    (1793年7月5日勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第9代ハートフォード伯爵 (9th Earl of Hertford)
    (1750年8月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーフォーク州における第9代ヤーマス伯爵英語版 (9th Earl of Yarmouth in the County of Norfolk)
    (1793年7月5日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) ※法定推定相続人儀礼称号
  • 第9代ビーチャム子爵 (9th Viscount Beauchamp)
    (1750年8月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ウォリック州におけるラグリーの第10代コンウェイ男爵 (10th Baron Conway, of Ragley in the County of Warwick)
    (1703年3月17日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • アントリム県におけるキルルターの第10代コンウェイ=キルルター男爵 (10th Baron Conway and Killultagh, of Killultagh in the County of Antrim)
    (1712年10月16日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
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一覧

ハートフォード伯 第1期 (1138年)

ハートフォード伯 (第2期;1537年)

ハートフォード伯 (第3期:1559年)

ハートフォード侯 (第1期;1641年)

  • 2代サマセット公・初代ハートフォード侯・2代ハートフォード伯ウィリアム・シーモア (1587–1660)
  • 3代サマセット公・2代ハートフォード侯・3代ハートフォード伯ウィリアム・シーモア (1651–1671)
  • 4代サマセット公・3代ハートフォード侯・4代ハートフォード伯ジョン・シーモア (-1675)
    • 1675年の彼の死とともにハートフォード侯位(第1期)廃絶

ハートフォード伯 (第3期 :1559年)

コンウェイ男爵 (第2期;1703年)

ハートフォード伯 (第4期;1750年)

ハートフォード侯 (第2期 ;1793年)

  • 初代ハートフォード侯フランシス・シーモア=コンウェイ (1718–1794)
  • 2代ハートフォード侯フランシス・イングラム=シーモア=コンウェイ (1743–1822)
  • 3代ハートフォード侯フランシス・チャールズ・シーモア=コンウェイ英語版 (1777–1842)
  • 4代ハートフォード侯リチャード・シーモア=コンウェイ英語版 (1800–1870)
  • 5代ハートフォード侯フランシス・ヒュー・ジョージ・シーモア英語版 (1812–1884)
  • 6代ハートフォード侯ヒュー・ド・グレイ・シーモア英語版 (1843–1912)
  • 7代ハートフォード侯ジョージ・フランシス・アレグザンダー・シーモア英語版 (1871–1940)
  • 8代ハートフォード侯ヒュー・エドワード・コンウェイ・シーモア英語版 (1930–1997)
  • 9代ハートフォード侯ヘンリー・ジョスリン・シーモア英語版 (1958-)

家系図

脚注

参考文献

関連項目

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