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バハルダール
エチオピアで言う陽キャ的な立ち位置の都市 ウィキペディアから
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バハルダール (アムハラ語: ባሕር ዳር) はエチオピア北西部のアムハラ州の州都。 青ナイル川の源流のタナ湖の南岸に位置する。 2002年にはUNESCOの平和都市賞を受賞した[1]。 首都アディスアベバから約578 km北北西に位置する。 2015年の人口は24万3300人。

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気候
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歴史
16世紀 - 17世紀、バハルダールが誕生した。 スペイン・ハプスブルク朝出身の建築家のペドロ・パエス (1564年 - 1622年) が活躍した[4]。
19世紀中盤、テオドロス2世 (1818年 - 1868年) が軍を駐屯させたが、兵士の間でコレラが流行した為、ベゲムデルに移動させた[5]。
1937年4月23日、第二次エチオピア戦争の中でイタリア王国軍がゴンダールからバハルダールに進軍し、占領した。
1940年10月21日 - 22日、イギリス空軍がバハルダールを空襲した。
1941年4月27日、イタリア王国軍が撤収した[5]。 ハイレ・セラシエ1世 (1892年 - 1975年) の宮殿の1つがバハルダールに位置し、遷都も考えられていた。
1961年6月15日、バハルダールの3 km北で、青ナイル川に226 mの橋が架けられた[5]。
1963年、ソ連が290万ブルをかけて技術大学を建設した。 農業機械、産業化学、電気、木工、加工、繊維、金属専攻が設置された。
1988年5月、エチオピア内戦の中で、第三革命軍 (TLA) の603兵団の本部が置かれた。
1990年3月3日 - 4日、第三革命軍はバハルダールから撤退する際に近くの橋を爆破した。 その後エチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF) とデルグが占領した[5][6]。
2007年1月6日 - 9日、国立投資市場及び貿易祭が開催された[7]。
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人口
- 1984年5月9日:5万4800人
- 1994年10月11日:9万6140人 (2万857世帯) (男:4万5436人、女:5万704人)
- 2007年5月28日:15万5428人
- 2015年7月1日:24万3300人[8]
民族
第一言語
宗教

観光地

- 青ナイル滝:約30 km南
教育
- バハルダール大学
交通

- バハルダール空港
スポーツ
- バハルダール競技場:6万人収容(国内最大)
- バハルダール大学競技場:1万5000人収容
姉妹都市
関連項目
- エチオピア航空604便不時着事故:1988年9月15日にバハルダール空港で発生した航空事故。104人中35人が死亡した。
脚注
外部リンク
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