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メンフィス・グリズリーズ

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メンフィス・グリズリーズ
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メンフィス・グリズリーズMemphis Grizzlies)は、アメリカ合衆国テネシー州メンフィスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。元々はカナダブリティッシュコロンビア州バンクーバーに本拠地を置いており、チーム名はその時の名残である。北米4大プロスポーツリーグ中、メンフィスを本拠とするチームはグリズリーズのみである。ちなみに現在のグリズリーズのロゴを考案したのは、現在のNBAロゴのシルエットになっているジェリー・ウェストである。

概要 メンフィス・グリズリーズ Memphis Grizzlies, 呼称/略称 ...
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歴史

要約
視点

バンクーバー・グリズリーズ

グリズリーズは、1995年バンクーバー・グリズリーズとしてカナダブリティッシュコロンビア州バンクーバーで設立された。同年には同じくカナダに本拠を置くトロント・ラプターズもリーグ入りしており、両チームの発足によりNBAは念願だったカナダ進出を実現させた。拡張ドラフトではグレッグ・アンソニーブルー・エドワーズらベテランを中心に指名し、チーム初のドラフトではブライアント・リーヴスを指名した。

初期のグリズリーズを率いたのはシャリーフ・アブドゥル=ラヒムマイク・ビビーなどの若手選手だったが、勝ち数は20以下、負けは60試合以上という苦しいシーズンが続いた。

1998年にはNBAの選手とオーナー側による労使交渉が決着せず、ロックアウトが発生した。そのためシーズンが翌年2月に開幕するという異常事態となり、グリズリーズ戦を訪れる観客が大きく減少した。これがのちにグリズリーズが移転する原因となった。

1999年にドラフト2位でグリズリーズが指名したスティーブ・フランシスは、「カナダのことは全然知らない」という理由で入団を拒否し、3チームが関係するトレードを引き起こした。これによりフランシス本人が批判を受けたのみならず、新人にチーム入りを拒まれたグリズリーズの評判も傷つけられた。

2000年、グリズリーズの所有者だったオーカベイ社は、依然として興業が振るわなかったチームを実業家のマイケル・ハイズリーに売却。2000-01シーズン中、チーム移転を検討していたハイズリーはNBAにテネシー州メンフィスへの移転を申請し、了承された。こうして2001年からチームはメンフィス・グリズリーズとなった。

メンフィス・グリズリーズ

メンフィス初年度の2001-02シーズンに先立ち、グリズリーズはアブドゥル=ラヒム、ビビーをトレードに出し、パウ・ガソルシェーン・バティエ

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パウ・ガソル
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シェーン・バティエ

ドラフトで、ジェイソン・ウィリアムスをトレードで獲得し開幕に備えた。

  • 2001-01シーズンは、フランチャイズを移しても、23勝59敗とチーム成績は伸びなかったが、ガソルは新人王を受賞した。
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ジェイソン・ウィリアムス

2002年ロサンゼルス・レイカーズのフロントで7度の優勝に貢献したジェリー・ウェストがチームのゼネラルマネージャーに就くと、状況は好転し始めた。

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マイク・ミラー
  • 2003-04シーズンには躍進し、50勝32敗に達した。ブラウンは最優秀監督賞を受賞し、ウェストは最も優れた人事を行った選手人事責任者に贈られるNBA最優秀役員賞を受賞した。またこのシーズンにはチーム史上初のプレーオフ出場を果たした。
  • 2004-05シーズン前にディビジョンの再編が行われ、これまでのミッドウェストディビジョンがなくなり、当時、サンアントニオ・スパーズダラス・マーベリックスニューオリンズ・ホーネッツなどプレーオフ常連の強豪が犇めくサウスウェスト・ディビジョンに組み込まれることとなった。シーズン序盤にブラウン監督が辞任し、代わってマイク・フラテロが監督を引き継いだ。このシーズンは45勝37敗と勝ち越しプレーオフに出場したが、フェニックス・サンズに1stラウンドでスイープされ、またも勝利のないまま敗退した。
  • 2005-06シーズンもグリズリーズは49勝33敗と勝ち越しプレーオフに出場したが、3年連続で1勝も挙げられず、ダラス・マーベリックスにスイープされ、1stラウンドで敗退した。
  • 2006-07シーズンは、積極的にトレードを行い、バティエと交換で新人ルディ・ゲイと2年前まで在籍したストロマイル・スウィフトを獲得した。しかし、このシーズンはガソルの長期欠場の影響で、開幕から大きく出遅れフラテロ監督は解任、後任にトニー・バローネを充てるも、低迷から脱せず、22勝60敗と大きく負け越し、4年連続のプレイオフ進出を逃した。
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ルディ・ゲイ
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マルク・ガソル
  • 2009-10シーズンは、ライオネル・ホリンズのヘッドコーチ就任とザック・ランドルフの加入と若手の成長とが重なり、低迷状態を続けていたチームが躍進を遂げる。40勝42敗で、プレーオフ進出はならなかったが、チーム状態は改善した。
  • 2010-2011シーズンは、46勝36敗とついにレギュラーシーズンを勝ち越しで終え、プレーオフへと進んだ。プレーオフのファーストラウンドでは、第8シードであったグリズリーズは第1シードであったサンアントニオ・スパーズを破るという快挙を成し遂げチーム史上初のプレイオフ・セカンドラウンドに駒を進めた。しかしセカンドラウンドではケビン・デュラント擁するオクラホマシティ・サンダーに3勝4敗で健闘はしたが敗れた。
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マイク・コンリー
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ザック・ランドルフ

2012年6月に3億5,000万ドルでロバート・ベラを中心とし、アンファニー・ハーダウェイジャスティン・ティンバーレイクペイトン・マニングの妻などが加わったグループがチームを買収している[6]

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ジャ・モラント
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シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

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主な選手

要約
視点

現ロスター

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保有するドラフト交渉権

グリズリーズは、NBA以外のリーグでプレーしている以下の未契約ドラフト指名選手の交渉権を保有している。ドラフトで指名された選手(海外出身の選手または大学選手で、ドラフトで指名したチームと契約していない選手)は、NBA以外のどのチームとでも契約することが認められており、この場合、そのチームは、その選手のNBA以外のチームとの契約が終了してから1年後まで、その選手のNBAでの交渉権を保持することになる[11]。このリストには、他球団とのトレードで獲得した交渉権も含まれている。

さらに見る ドラフト, 巡目 ...

殿堂入り

さらに見る メンフィス・グリズリーズの殿堂入り, 選手 ...

永久欠番

グリズリーズは当初、トニー・アレンの背番号「9」を2022年1月28日に永久欠番授与式を行う予定だった[14]。しかし、2021年11月にアレンの要請で式典は延期された[15]

2018-19シーズンのトレード期限中にマルク・ガソルをトレード放出した後、チームはガソルが着用していた背番号「33」を永久欠番にすることを発表[16]マイク・コンリーをトレード放出した後、チームはコンリーが着用していた背番号「11」を永久欠番にすることを発表した(式典日は未定)[17]

さらに見る メンフィス・グリズリーズ永久欠番, No. ...

年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人

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コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

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チーム記録

メンフィス・グリズリーズのチーム記録

脚注

外部リンク

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