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パンプキン爆弾実戦投下地の一覧

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パンプキン爆弾(パンプキンばくだん、かぼちゃ爆弾Pumpkin bomb)は、正式名称を「1万ポンド軽筒爆弾」(Light-case,10,000-pound weapons)[1]といい、、第二次世界大戦大東亜戦争 / 太平洋戦争)中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾である 。1945年8月9日長崎に投下された原子爆弾(原爆)「ファットマン」の模擬爆弾として知られる[1]、ファットマンとほぼ同一の形状を有し、質量もファットマンとほぼ同一になるよう調整された模擬原爆で構造分類上での通常型爆弾コードネームである。弾体が橙黄色に塗装されていたことから「パンプキン」の名が使われた[1]。TNT火薬を主成分とした高性能爆薬を充填したタイプ、ともう1つはセメントや石膏を用いたコンクリート混合物が充填されたタイプの2種類があった[2]。原爆投下作戦に対する実戦訓練作戦と有効な事前データの採取に使用された。

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パンプキン爆弾戦闘作戦

要約
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第509混成部隊は、1945年7月20日、23日、26日、29日、および8月8日と14日に、日本の都市における個別の攻撃目標に対して、高性能爆薬を充填した「パンプキン爆弾」を使用する実戦の戦闘作戦を実施した。これらの作戦において、合計49発の爆弾が14の攻撃目標に対して投下され、1発は海上に投棄され、2発は作戦中止により航空機に搭載されたままとなった[3][4]

各作戦のパラメータおよびプロトコルは、実際の原子爆弾投下作戦に準じて設定されており、目標はすべて原爆投下候補都市周辺に位置していた。爆弾は高度30,000フィート(約9,100メートル)から投下され、航空機は原爆投下時と同様に急旋回を行って退避した。戦後に実施された米国戦略爆撃調査団による評価によれば、パンプキン爆弾は、「重要な区域への直撃、あるいは重要建造物の構造に深刻な破壊を引き起こすほど十分に近い至近弾が得られた場合において、日本の工業施設に対して相応の効果を有する兵器であった」と結論付けられている[5]

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アメリカ合衆国国内模擬投下試験・訓練

平行してアメリカ合衆国国内ではパンプキン爆弾の試験・訓練投下が続けられており、ウェンドオーバー航空基地英語版インヨーカン英語版海軍武器試験基地英語版(通称チャイナレイク英語版)およびソルトン湖海軍補助航空施設英語版において試験・訓練投下が実施された。試験・訓練はファットマンが実際に投下される直前まで継続され、X部隊と名付けられたファットマンの投下部隊は、1945年8月4日にウェンドオーバーで投下の試験・訓練を初めて成功裏に終え、そのわずか6日後[注 2]に実戦投下が行われた[10]。ウェンドオーバーでは155発、ソルトン湖の湖上にはやはり150発以上のコンクリート弾パンプキンが投下された[4][11]

脚注

注釈

  1. 作戦報告書に記載された目標地で、必ずしも実際の着弾地とは一致しないものもある。
  2. 日本との時差の関係で5日でなく6日としている。

出典

外部リンク

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