トップQs
タイムライン
チャット
視点
ピエールシャルル・ブドー
ウィキペディアから
Remove ads
ピエールシャルル・ブドー(Pierre-Charles Boudot、1992年12月21日 - )はフランスの元騎手である。
来歴
2009年にフランス騎手免許を取得し、名門アンドレ・ファーブル厩舎からデビュー。2013年にはフランスで122勝を挙げ、クリストフ・スミヨン、マキシム・ギュイヨンに次ぐリーディング3位に入る[1]。若手のホープとしての地位を固め、「オリビエ・ペリエの後継者」と評されるようになる[2]。
2014年のパリ大賞典をギャランテ(Gallante)で勝利し、GI初制覇。同年秋には短期騎手免許制度を利用して初来日(身元引受調教師は栗東の池江泰寿。身元引受馬主は吉田勝己)[1]。同年11月1日の京都8Rを6番人気のコスモグラウベで制し、初騎乗から14戦目でJRA初勝利を挙げる[3]。当初の予定では12月28日までの騎乗予定であったが、体重調整に苦しみ、短期免許を取り消して12月2日付で帰国した[4]。この年以降、日本での短期免許は取得していない。
2015年は179勝でクリストフ・スミヨンとフランスリーディングジョッキーの座を分け合った。2016年は飛躍的に勝ち星を伸ばし、10月16日にはスミヨンが保持していた年間228勝のフランス記録を更新する229勝目を挙げる[5]。同年は最終的に301勝まで勝利数を上乗せし、ドイツのペーター・シールゲンが保持していた欧州の年間最多勝記録273勝を大幅に更新した[6]。
2018年はスミヨンが306勝の大活躍で新記録を樹立し、ブドーの記録は1年で塗り替えられた。それでも年間209勝を挙げ、スミヨンに次ぐリーディング2位につけた[7]。
2021年5月14日、フランスギャロから3ヶ月の騎乗停止処分を受けた。同年2月の女性に対する暴行容疑で起訴されたため[8]。同年8月13日、騎乗停止処分が6カ月間延長されることになった[9]。
2022年9月にはトレーニングセンターに復帰していたが、同年11月8日、フランスギャロは同国内務省の要請に基づき、ブドーの騎手免許を取り消した[10]。これ以降、ブドーはカタールレーシングで純血アラブ種の馬の調教に従事していたが、2025年2月14日、同国アルライヤン競馬場で『緊急免許』を交付されレースに騎乗。計4鞍の騎乗で2勝を挙げた。芝コースのコンディションが著しく悪く、マキシム・ギュイヨン、クリストフ・スミヨンら騎乗を拒否するジョッキーが複数現れたことによる臨時措置であると報じられている[11][12][13]。
Remove ads
エピソード
2014年11月15日の東京6R(2歳新馬戦)でノワールギャルソンに騎乗したブドーは、減量の失敗から規定の斤量55キロをクリアすることができず、両足のブーツを脱いで騎乗。前代未聞の状況ながら、12番人気の同馬をクビ差の2着に好走させた。レース後、日本中央競馬会は装具について注意義務を怠ったとして、ブドーに対して戒告の処分を科した[14]。
成績
フランス
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
日本
主な騎乗馬
- ヴァルトガイスト(Waldgeist) -
凱旋門賞、
サンクルー大賞、
クリテリウムドサンクルー、
ガネー賞
- エソテリック(Esoterique) -
ジャック・ル・マロワ賞、
ロートシルト賞、
サンチャリオットステークス
- ファンシーブルー(Fancy Blue) -
ディアヌ賞
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads