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ピピ&コット

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ピピ&コットは、1960年代末から1970年代初頭に活動していたフォークバンド。綺麗なメロディラインとハーモニーを特徴としていた。

概要 ピピ&コット, 出身地 ...

概要

「ピピ&コット」はケメこと佐藤公彦が名付け親で、ドイツ語で“オシッコとウンチ”という意味。金谷、佐藤が二人とも本番が近づくとトイレに行きたくなる、というところから名付けられた[1]

アマチュア時代は、泉谷しげる古井戸RCサクセションらと共に活動。エレックよりプロデビュー。泉谷しげる生田敬太郎古井戸佐藤公彦とみたいちろう海援隊らと、エレック主催の唄の市コンサートを中心に活動。

佐藤公彦脱退後にリリースされたシングル「愛をつかまえよう」は、佐藤公彦の作詞・作曲であり、シングルのライナー(ピピ&コットの意味)も佐藤が寄稿している。 メンバー紹介は、金谷、早川、板垣の男性3名と吉田、丸山の女性2名の計5名がクレジットされている。

メンバー

  • 金谷厚(かなや あつし、1951年10月27日 - 、リーダー、ギター担当)
2006年8月に大田区大森にフォーク酒場「風に吹かれて」をオープン[2]。2009年1月、「金谷あつし」として、ソロアルバム「Benchi time」をリリース。
1972年に脱退、ソロ活動を開始。愛称:ケメ。
大田区生まれ。バンド解散後は「よしだよしこ」としてソロ活動。一時音楽活動を停止していたが、1999年より活動再開。
  • 早川隆(はやかわ たかし、1952年1月3日 サイドギター、パーカッション担当)
泉谷しげるに「二度とない人生だから」を提供。
解散後はヤングジャパンやポリスターレコード等でディレクター、プロデューサーとして活動。
1997年インカレジメント設立 プロデュース&マネージメント。 同年、フォーク・フレンドシップ・アソシエーションに参加、チーフプロデューサーとしてフォーク系のアルバムを制作。
2006年 (株)ライフゴーズオン代表に就任[3]
  • 沢彰記(沢とおる)(さわ あきのり、ベース担当)
作曲・編曲を学んだ後、シンセサイザー・プログラマ、フリーライター、専門学校講師などを勤める。
  • 板垣秀雄(いたがき ひでお、1951年5月28日 ベースギター担当)
沢脱退後に加入。「野菜が食べたい」でとぼけたキャラを発揮。のちに「山本コウタローとウイークエンド」や「Do!」のベーシストとして活躍。その後死去[4]
佐藤脱退後に加入。バンド解散後、ソロ歌手に。「どうぞこのまま」がヒット。
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活動の記録

  • 1967年 - バンド結成。
  • 1971年 - 日本テレビ主催のコンテスト「歌のチャンピオン」で優勝し、デビュー。唄の市を中心にコンサート活動い始める。「捨ててはいけないよ大切なものを」でレコードデビュー。
  • 1972年 - 佐藤が脱退、ソロ活動を始める。
  • 1973年 - 丸山が参加。
  • 1975年 - 解散。

ディスコグラフィ

シングル

エレックレコード

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キャニオンレコード

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アルバム

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