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ピピ&コット
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ピピ&コットは、1960年代末から1970年代初頭に活動していたフォークバンド。綺麗なメロディラインとハーモニーを特徴としていた。
概要
「ピピ&コット」はケメこと佐藤公彦が名付け親で、ドイツ語で“オシッコとウンチ”という意味。金谷、佐藤が二人とも本番が近づくとトイレに行きたくなる、というところから名付けられた[1]。
アマチュア時代は、泉谷しげる、古井戸、RCサクセションらと共に活動。エレックよりプロデビュー。泉谷しげる、生田敬太郎、古井戸、佐藤公彦、とみたいちろう、海援隊らと、エレック主催の唄の市コンサートを中心に活動。
佐藤公彦脱退後にリリースされたシングル「愛をつかまえよう」は、佐藤公彦の作詞・作曲であり、シングルのライナー(ピピ&コットの意味)も佐藤が寄稿している。 メンバー紹介は、金谷、早川、板垣の男性3名と吉田、丸山の女性2名の計5名がクレジットされている。
メンバー
- 1972年に脱退、ソロ活動を開始。愛称:ケメ。
- 大田区生まれ。バンド解散後は「よしだよしこ」としてソロ活動。一時音楽活動を停止していたが、1999年より活動再開。
- 早川隆(はやかわ たかし、1952年1月3日 サイドギター、パーカッション担当)
- 泉谷しげるに「二度とない人生だから」を提供。
- 解散後はヤングジャパンやポリスターレコード等でディレクター、プロデューサーとして活動。
- 1997年インカレジメント設立 プロデュース&マネージメント。 同年、フォーク・フレンドシップ・アソシエーションに参加、チーフプロデューサーとしてフォーク系のアルバムを制作。
- 2006年 (株)ライフゴーズオン代表に就任[3]。
- 沢彰記(沢とおる)(さわ あきのり、ベース担当)
- 作曲・編曲を学んだ後、シンセサイザー・プログラマ、フリーライター、専門学校講師などを勤める。
- 板垣秀雄(いたがき ひでお、1951年5月28日 ベースギター担当)
- 佐藤脱退後に加入。バンド解散後、ソロ歌手に。「どうぞこのまま」がヒット。
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活動の記録
- 1967年 - バンド結成。
- 1971年 - 日本テレビ主催のコンテスト「歌のチャンピオン」で優勝し、デビュー。唄の市を中心にコンサート活動い始める。「捨ててはいけないよ大切なものを」でレコードデビュー。
- 1972年 - 佐藤が脱退、ソロ活動を始める。
- 1973年 - 丸山が参加。
- 1975年 - 解散。
ディスコグラフィ
シングル
エレックレコード
キャニオンレコード
アルバム
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注
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