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泉谷しげる

日本の歌手、俳優、タレント (1948-) ウィキペディアから

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泉谷 しげる(いずみや しげる、本名:泉谷 茂(読み同じ)[1]1948年昭和23年〉5月11日[2] - )は、日本シンガーソングライターフォークソングロック)、俳優[1]血液型O型。青森県出身[1][3]

概要 泉谷 しげる, 出生名 ...
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概要

1971年にライブ・アルバム『泉谷しげる登場』でフォークシンガーとしてデビュー[3]。『春夏秋冬』『光と影』『80のバラッド』『吠えるバラッド』など多くのアルバムや楽曲を発表し、楽曲の歌詞、ボーカルスタイル、ギターの奏法、ぶっきらぼうな振る舞いが「強烈にして無比」と評される[4]。俳優業、バラエティ番組への出演、コメンテーター業、絵画の製作、「キッチンライブ」と題した料理関係の活動も行っており、これらも高く評価されている[5][6][7]社会的貢献にも強い関心があり、多くの自然災害疫病で被災した地域に義援金や楽曲の印税を寄付したり、風評被害をなくす目的で積極的にライブ活動やロックフェスティバルの運営などを行ったり、駅弁のプロデュースに携わるなど活動の幅は広範囲に渡っている[4][8][9][10]

来歴

生い立ち

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代以降

  • 2001年 - デビュー30周年を迎える。自らのレーベル『iZ』(イズ)を立ち上げ、第1弾として『起死回生』を発表した[64]
  • 盟友忌野清志郎らと清志郎・泉谷・スパイスマーケットを結成。フジロックフェスティバルに参加するなど精力的な活動を行う[64]。2003年にはアルバムのレコーディングやツアーを行う計画もあったが、泉谷がドラマの仕事を入れてしまったため幻となった[74]
  • 2003年 - 『Dr.コトー診療所』(フジテレビ)に出演[11]。再び俳優としても注目される[64]
  • 2004年1月21日 - ガガガSPコザック前田とのユニットでシングル「生活/永遠のウソつき」もリリース[4]。後に前田のソロアルバム『東須磨は夕方6時』にも2人が歌った「生活」が収録されている[75]
  • 2007年4月〜2008年3月 - テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎(第5作)』のオープニングテーマを歌った(第51話まで使用された)[64]
  • 2008年5月11日 - 歳還暦を迎えSHIBUYA-DUO MUSIC EXCHANGEで還暦記念ライブを開催[64]
  • 同時期には「土地土地の歴史と向かい合い、歌の季節を求める旅〜オレの歌は君の季節になれるか?〜」をコンセプトに各地のイベントをギター一本で回る「ロード・オブ・ライブ」を本格的に始動した[64]
  • 2008年9月20日- ポニーキャニオン移籍第一弾となるオリジナルニューアルバム『すべて時代のせいにして』を発売[64]
  • 2008年10月4日 - 「60×60泉谷しげる展覧会」と題したオールナイトライブを実施。ライブは3部構成で、それぞれの部各20曲を披露。60曲としていたものが3部は20曲の後にアンコール2曲を入れ合計62曲になった[76]
  • 2009年5月3日 - SaaS型動画配信サービス「ビムーブTV」にて「地域活性化」をコンセプトにした配信番組『泉谷しげるのコラコラ放送局』を開始。アシスタントとして小島可奈子を迎えた。以前から泉谷は「日本文化のいいところを再発見し、歴史ある祭りにも参加し、さらに新しい祭りを起こしたい」という思いを持っており、番組の配信にあたり「特別な演出をせず、地元の人と自然に触れ合ったものをそのまんま放送したい」「最初は規模が小さくても新しい"祭り"を創ろう!」と意気込みを語った[77][78]
  • 同日 - 忌野清志郎の死に際し、「あいつの死は受け入れたくない、葬儀にも行かないし、冥福も祈りたくない。俺の中ではあいつは生きてるんだ」とコメントする。実際に、2度行われた清志郎のロック葬に泉谷が現れることはなかった。また、破天荒な性格が清志郎の影響によるとも明かした。5月5日より公式サイトにて「忌野清志郎・伝」という連載を開始した[79][80]
  • 2010年 - 口蹄疫流行の中、公式ブログ「兎猫豚(うびょうとん)のみらい日記」 において、宮崎の応援と、政府やマスコミへの憤りを表明。FAO国連食糧農業機関の支援を日本政府が拒否した事や報道が不十分である事などにも触れ、海外メディアの取材を受けることで状況の改善を試みた[81][82]。終息宣言後の同年11月7日には地元の役所・宮崎県警察東国原英夫(当時第17代 宮崎県知事)の許可を貰い、県民にボランティアを要請した上で宮崎県宮崎市みやざき臨海公園 サンマリーナ宮崎 多目的芝広場にて宮崎の復興を支援する音楽イベント『水平線の花火と音楽』を開催。このイベントは2016年まで計7回開催され、毎年2万人を動員した[8][83]
  • 2011年3月 - 東日本大震災に際してGACKT真矢と共同で被災者救援募金活動「SHOW YOUR HEART」(心意気を見せろよ)を展開[84]。また、自らも3月19日から20日まで「24時間トーク&ライブ『日本を救え』」をUstreamで配信[85]。19日には原宿のアンテナショップ「ニコニコ本社」にてニコニコ生放送の特別番組「泉谷しげるのチャリティトーク&ライブ 〜日本を救え!〜」を嘉門達夫中村中らと実施。4月17日には秋葉原UDXでイベントを行うなど以降も積極的にチャリティー活動を行った[86][87]
  • 2012年4月28日 - 宮城県川崎町で開催された野外音楽祭ARABAKI ROCK FEST.にて「泉谷しげるwith LOSER」が再結成[88][89]
  • 2013年4月28日 - Zepp ダイバーシティ東京にて泉谷しげるwith LOSER 25周年記念LIVE「吠えるバラッド」開催[90]
  • 2013年12月31日 - NHK紅白歌合戦に初出場[91]
  • 2014年12月8日 - 「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」(10日 - 16日)にちなんで日本国政府主催で東京・渋谷オーチャードホールで開催された『拉致問題啓発コンサート』に出演[92]
  • 2015年 - 阿蘇山の噴火活動による風評被害を解消する目的で開催される音楽フェス『阿蘇ロックフェスティバル』の発起人となる[11]。同年5月30日に第1回が開催された[93]
  • 2016年6月18日 - フードコーディネーターの住川啓子と共に西東京調理師専門学校にて『泉谷しげる×住川啓子キッチンライブ!』を開催。同年11月19日には第2回が開催された[94][7]
  • 2018年10月 - 福島第一原子力発電所事故以降風評被害に悩まされている福島県を励ますため、地元の食材をふんだんに取り入れた駅弁「驛(えき)〜福島応援弁当」をプロデュース。知人を通して同県郡山市に本社をもつ駅弁業者「福豆屋」にかけあい実現した。東日本大震災以降毎年のように福島でストリートライブを行っていた泉谷は「まずは福島から元気にしていく」「復興は何十年もかかるもの。福島の食べ物のおいしさはどんな形でも伝えていきたかった」と語っている[95][10]
  • 2019年12月31日 - ももいろ歌合戦BS日テレニッポン放送AbemaTVなど)に初出場[96]。翌年以降も出場
  • 2020年6月11日 - LIVING ROOM CAFE&DININGにて初の無観客配信ライブ『泉谷しげる 初配信ライブ“コロナのばかやろー!”』 を開催[97]
  • 2023年5月17日 - 「泉谷しげる 75th Anniversary Live」をBillboard LIVE TOKYOにて開催[98][99]
  • 2024年9月21日 - 能登半島地震被災地支援のため、珠洲市にてチャリティーコンサートを開催予定になっていたが、大雨特別警報による避難指示と、道路の(工事関係、緊急用車両以外)通行止めを受けて取りやめる。元々震災前から珠洲市から公演オファーをもらっていたが、能登半島地震を受け、被災地支援のためのチャリティー公演にすることを決めていた。日取りは未定ながら延期公演を開催予定で意欲を見せている[100]
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ディスコグラフィー

シングル

ソロ

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コラボレーションシングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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ミニ・アルバム

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セルフカバー・アルバム

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カバー・アルバム

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ライブ・アルバム

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コンピレーション・アルバム

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ベスト・アルバム

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コラボレーションアルバム

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CD-BOX

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関連アルバム

  • 『唄の市第一集』(1972年)
  • 『野音唄の市』(1972年)

映像作品

  • 『HOWLING LIVE』(VHS、1988年7月21日 / DVD、2003年3月26日)
  • 『HALLELUJAH』(VHS、1990年1月21日 / DVD、2003年3月26日)
  • 『LIVE LIFE LIVE〜叫びつづける〜』(VHS、1991年1月21日 / DVD、2003年3月26日)
  • 『再登場「日本を救え」』(VHS、1994年5月8日)
  • 『全身全霊〜泉谷しげる大全集〜』(VHS、1996年8月21日 / DVD、2003年3月26日)
  • 『日本を救え!!』(DVD、2003年3月26日)
  • 『泉谷しげる MTV Premium Live in duo』(DVD、2007年10月26日)
  • 『泉谷展覧会 60×60 <第一部>』(DVD、2009年3月18日)
  • 『泉谷展覧会 60×60 <第二部>』(DVD、2009年6月17日)
  • 『泉谷展覧会 60×60 <第三部>』(DVD、2009年12月2日)
  • 『「昭和の歌よ、ありがとう」One Night Premiere LIVE』(DVD、2014年4月23日)
  • 『泉谷しげる×な時間(バツなライブ)』(DVD、2014年8月27日)

タイアップ一覧

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楽曲提供

  • 川谷拓三「夜光る男」 - 作詞・作曲、「恋歌」 - 作曲のみ
  • 堺正章「行きずりの男」 - 作詞・作曲・編曲
  • 佐藤公彦「恋に別れを」「同じように生きて」「今日このごろ」 - 作詞のみ
  • 沢田研二「STOIE HEAVY〜盗まれた記憶〜」(アルバム『PANORAMA』収録) - 作詞のみ
  • 杉田二郎「若いというだけで」 - 作詞のみ
  • 仁藤優子「私の戦争」 - 作詞・作曲
  • 根津甚八「からっ風ブルー」「野良犬 PART II」 - 作詞・作曲
  • ビートたけし「おれが武だ」「夜につまずき」 - 作曲のみ
  • ピピ&コット「鬼ごっこ」(シングル「野菜が食べたい」B面) - 作詞のみ
  • 氷室京介「独りファシズム」(アルバム『FLOWERS for ALGERNON』収録) - 作詞のみ
  • VALE TUDO CONNECTION Organized「ワイルドピース」 - 作詞のみ
  • 松尾和子「オレンジ色の女」「放浪の子」「夜明けのラプソディー」「らせん階段」「若い人」 - 作詞・作曲
  • ザ・モップス「当世少女気質」 - 作詞・作曲
  • ROMY「カー・ラジオ」「KI・A・I」- 作詞のみ
  • ザ・ロッカーズ「視界ゼロの女」「LOVEコマーシャル」 - 作詞のみ
  • 渡辺美里「2人のFOUR SEASONS」 - 作詞のみ(桑田佳祐との共作)
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出演

要約
視点

テレビドラマ

映画

WEBドラマ

プリズン・オフィサー(2015年、BeeTV) [113]

テレビ番組

太字は現在出演中の番組。

NHK紅白歌合戦出場歴

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ラジオ番組

劇場アニメ

吹き替え

テレビアニメ

ゲーム

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画家・漫画家活動

  • ポップな作風のアートを披露。エレック時代のアルバムの再発版のアートワークは、泉谷自身のデザインに改訂されている。
  • 木梨サイクル』に出演した際は、適当に絵の具を乗せた紙の上に、泉谷がパンツ一丁になり自分の体をこすり付け、「肉体の指紋」と言う作品を完成させた。
  • 映画『狂い咲きサンダーロード』では美術を担当。不良たちの独特な世界を演出。
  • 漫画家としても活動していた時期があり、10代の頃『トツゼン児』という9ページのマンガを投稿した雑誌『COM』1969年2月号で手塚治虫から批評を受けている。(テーマ100点、ストーリー70点、絵30点)[120]
  • 2010年2月、新宿髙島屋美術画廊で「泉谷しげるコミック展/マンガは爆発だ!!」を開催。過去の作品群を一挙公開した他、新作のキャラクター「うびょ〜とん」を発表し、漫画家としての初めての展覧会は大盛況のうちに終了した。この兎、猫、豚が合体したシニカルなキャラは泉谷が初めて子供にむけて創ったものであり、ワイルドな泉谷しげるの別の面を垣間見せる作品として注目されている。
  • このうびょ〜とんの“セルロイド風”リミテッドアニメが収録されたDVDコミックには、浦沢直樹も参加しており、泉谷の少年時代を描いたマンガを寄せている。
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映画監督・プロデュース

  • 拳銃殺陣師・第1部 死闘篇(1979年)
  • 怒りの誕生(1981年、8mm作品)
  • 爆裂都市 BURST CITY(1982年)※企画
  • ハーレム・バレンタイン・デイ(1982年)
  • デスパウダー英語版(1986年)
  • ネイビー・ロック・ウォー 撃破せよ!(1990年、ビデオ映画

コメンテーター活動

  • 1993年 - 1996年の間、『日刊スポーツ』にて「泉谷しげるの治外法権」というコラムを連載したり(このコラムは時事問題を歯に衣を着せない独自の泉谷節で切りまくる。この中には、山本コウタロー槇原敬之の実名を挙げて批判する過激な文章もあった。後に同じ題名で徳間書店より単行本化)、現在は『アサヒ芸能』にて「泉谷しげるのバカヤロー人生論」を連載している。

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要約
視点

ナレーション

著書

  • 「何故うたう おれは」(1972年4月1日)
  • 百面相 : 泉谷しげる写真&詩篇』八曜社、1976年6月30日。
  • 「わが奔走 It's my life」(1988年2月、ISBN 4-947599-14-6
  • 「敗者復活 泉谷しげる詩集 1971-1989」(1990年10月、ISBN 4-401-61304-X
  • 「お前ら募金しろ! 泉谷しげるのひとりフォークゲリラ」(1994年5月、ISBN 4-643-94025-5
  • 「イズミヤサウルスの逆襲―恐竜と呼ぶな!大センパイと呼べ!」(1994年5月、ISBN 4796201599
  • 「泉谷しげるの治外法権」(1994年10月、ISBN 4-19-860182-8
  • 泉谷しげるが作品impact! : 泉谷しげる作品集』マイストロ、1998年8月15日。ISBN 4-944174-07-1
  • 「泉谷しげる詩集」(1998年12月10日、ISBN 4944174071
  • 「とぎすまされた六感 加害者の精神にふれた」(2001年1月、ISBN 4-901219-07-3
  • 「お笑い老人大国 オレたちが日本を喰い潰すぞ!」(2001年2月、ISBN 4-334-00700-7)※テリー伊藤との共著
  • 「僕の好きなキヨシロー」(2009年10月17日、ISBN 4872904362)※加奈崎芳太郎との共著
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その他・エピソード

  • しばしば政治的批判を述べることがあり、日本国内の問題だけにとどまらず、中国韓国[123]北朝鮮[124]ロシア[125]へも辛らつな発言をすることがある。一方、「エンターテインメントやスポーツに携わる人間は、国家同士は政治的に対立しても『皆で仲良くしようよ』と言うべき」「そうした立場の人間が争いを助長してはいけない」[123]「みんなに戦いを煽りたいワケではなく、どこかで大災害があっても、戦争がおきても今日を平和に楽しむスケジュールがあらば、楽しむべきだし、みんなが同じ危機感に浸るべきではないと思っている」といった旨も述べている[126]
  • 表向きは破天荒なキャラクターで通しているが、音楽・芝居・絵画・料理などの多彩な才能や地域活性化・復興支援などの活動、周囲への配慮を忘れない姿勢により、ファンや周囲からは泉谷の人物像について「良い人」と評価されている。本人も破天荒な部分については「作りもの」と認めており、元々は子供の頃から赤面症で人見知りであった旨を語っている[5]
  • 桑田佳祐とはかつてはたびたびテレビやイベントなどで共演していた[127]。1988年には泉谷のアルバム『吠えるバラッド』に桑田がスライドギター奏者としてビートルズジョン・レノンポール・マッカートニーを足して割った「JOHN PAUL MacLENNON(ジョン ポール マッカレノン)」という名義で参加した[128]。1993年の奥尻島救済コンサートでは泉谷・小田和正忌野清志郎・桑田の4人で「春夏秋冬」を合唱した[129]。また、桑田は2001年に『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ系列)で「春のからっ風」をカバーしている[130]
  • 2014年、若いころの自作と向き合ってきた結果、「自殺のすすめ」と「先天性欲情魔」の2曲についての著作権を永久に廃棄したいと希望。「嫌いな歌をイヤイヤ歌ってもな〜若気のいたりは観る者聞く人に不快と苦痛?を与えるだけだし付き合わせるだけ時間のムダ!」とブログでコメントしている[131]
  • かつてはギターを投げるなどの過激なパフォーマンスをライブで行っていた。2015年には観客の女性の額に当たり出血したことで訴訟となり、泉谷側は和解金を支払っている。泉谷は自らの非を認め謝罪し、以降はこういったパフォーマンスを封印した[132][133]
  • 映画監督押井守のファンだといい、特に好きな作品は『イノセンス』と『アヴァロン[134]
  • 武田鉄矢らが在籍する海援隊をエレックレコードに誘い上京するよう勧めたのは泉谷である。本人は社交辞令のつもりで誘いの声を掛けたとされるが、当の海援隊が泉谷の言葉を真に受けて上京した。エレックのスタッフは当初こそ困り果てたが、最終的には音楽性を評価した上でメジャー契約を結ぶことになった[135]
  • 子供の頃にポリオウイルスに感染し、その後遺症で足が不自由[136]
  • 酒が飲めない体質で、タバコも吸わない[137]
  • 普段からまめに料理したり、オーガニック食材にハマっていることを明かしている。バラエティ番組などで料理の腕前を披露したり、ブログで紹介することもある。2016年にはキッチンライブイベントで実演するほどの腕前である[138][94]
  • 俳優業においては台本を読まないことを公言しているが、一方で自身を駒に例え、「現場では監督の指示に従う」と語っている[139]
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脚注

関連項目

外部リンク

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