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フィフス・ディメンション

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フィフス・ディメンション
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フィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)は、1966年から現在まで活躍し続けているアメリカのコーラス・グループ。

概要 フィフス・ディメンション, 基本情報 ...
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歴史

要約
視点

黎明期

1963年に、ラモンテ・マクレモア、マリリン・マックー、ハリー・エルストン、フロイド・バトラーの4人が男性3名と女性1名の混声コーラス・グループであるハイ-ファイズ(Hi-Fis)を結成。ロサンゼルスのクラブ歌手として活動を開始した。

1964年、レイ・チャールズに気に入られ、ツアーを共にすることになり、チャールズのプロデュースによるジャズ・ナンバー「ロンサム・ムード(Lonesome Mood)」をリリースした。その後、エルストンとバトラーが意見の相違からグループを脱退したため、マクレモアとマックーは新しいメンバーを募ることになった。

リバティ・レコード時代

1966年、フローレンス・ラルー、ロン・タウンソン、マクレモアの従兄弟に当たるビリー・デイビスJr.が加入。マックーとラルーの女性2名とマクレモア、タウンソン、デイビスJr.の男性3名からなる5人編成のヴァーサタイルズ(Versatiles)が結成された。モータウン・レコードの門を叩くが拒否された。しかしジョニー・リバース(Johnny Rivers)の目に止まり、リバティ(Liberty Records)傘下の新しいR&Bレーベルdeであるソウル・シティ(Soul City)からフィフス・ディメンションとしてデビューすることになった。

第一弾として、フォー・トップス風のリズム・アンド・ブルースを目指した「I'll Be Lovin' You Forever」をリリースしたが不発に終った。そこでプロデューサーのボーンズ・ハウは、急遽、コーラスを重視した「黒いママス&パパス」(Black - Mamas & Papas)」路線に変更。1967年、ママス&パパスの「青空を探せ(Go Where You Wanna Go)」をカバーさせた[注釈 1]。これがBillboard Hot 100(全米)16位へ躍り出る大ヒットになった。続いて、当時まだ無名だった作曲家ジミー・ウェッブの「ビートでジャンプUp, Up and Away)」で全米7位を記録。同曲は翌1968年の第10回グラミー賞で最優秀レコード賞など4部門を受賞した[2][注釈 2][注釈 3]

1968年は、ローラ・ニーロ作の「ストーンド・ソウル・ピクニック」が全米3位を記録してプラチナディスクを受賞した。

1969年、ミュージカル「ヘアー」の挿入歌「輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン」でついに全米1位の座を射止めた。同曲は翌1970年に第12回グラミー賞最優秀レコード賞を受賞し、フィフス・ディメンションも同賞のBest Contemporary Vocal Performance By A Groupに選ばれた[2]。「ウェディング・ベル・ブルース」のヒットを機にマックーとデイビスJr.が結婚。同曲はマックーをソロとしてフィーチャーすることを決定付けた最初のヒット曲となった。

ベル・レコード時代

1970年、ベル・レコードへ移籍。「悲しみは鐘の音と共に(One Less Bell to Answer)」や「夢の消える夜」など、マックーをリードにしたアダルト・コンテンポラリー・ミュージックナンバーがヒットの中心になって行った。「悲しみは鐘の音と共に」はアメリカTVドラマ「スパイのライセンス」シーズン3 "To Sing a Song of Murder"[注釈 4]で使用され、マックーは同エピソードのマドンナ役を演じ、他のメンバーも全員がゲスト出演した。

同年に大阪で開催された日本万国博覧会に際して来日を果たした。

ベル・レコードはリバティ時代の音源を引き継いだため、アリスタに社名変更後も、黄金期の録音全てを含むベスト・アルバムをリリースしている。

abcレコード時代以降

1975年 abcレコードに移籍。マックーとデイビスJr.が脱退して夫婦によるユニットとして活動を開始。「星空のふたりYou Don't Have to Be a Star)」が全米1位に輝き、翌1977年の東京音楽祭でもグランプリを受賞した。

一方、2人を失ったフィフス・ディメンションは、5人編成を維持すべく新メンバーを加えるものの、メンバーが激しく入れ替わっていくことになった。

最後のシングル・リリースはラルーのリードによる「ラブ・ハングオーヴァー(Love Hangover)」(1976年)だったが、直後にダイアナ・ロスモータウンから同曲をリリースしたので、競作となった。結果として、マックー不在のフィフス・ディメンション版は、当時絶大な人気を誇ったロスの壁を超えることはできなかった。

1976年、モータウンへ移籍。

1991年、遅まきながら、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれることになった。

2001年、タウンソン病没。享年68歳。

現在在籍するオリジナル・メンバーはラルーだけで、「フローレンス・ラルーとニュー・フィフィスディメンション」と言うべき陣容になっている。

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メンバー

オリジナル・メンバー

メンバーの変遷

さらに見る 年代, フローレンス・ラルー ...

※ グレッグ・ウォーカーは、元サンタナのボーカリスト。

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ディスコグラフィ

シングル USビルボード・ランキング

さらに見る チャート・イン, 曲目:邦題 "原題" ...

オリジナル・アルバム 

  • ビートでジャンプ Up, Up and Away (1967 Liberty/Soul City) - US #8
  • マジック・ガーデン The Magic Garden (1967 Liberty/Soul City) - US #105
  • ストーンド・ソウル・ピクニック Stoned Soul Picnic (1968 Liberty/Soul City) - US #21
  • 輝く星座 The Age of Aquarius (1969 Liberty/Soul City) - US #2
  • 素敵なポートレート Portrait (1970 Bell records) - US #20
  • 愛のロンド Love's Lines, Angles and Rhymes (1971 Bell records) - US #17
  • ライブ The 5th Dimension/Live!! (1971 Bell records) - US #32
  • 五次元の結晶 Individually & Collectively (1972 Bell records) - US #58
  • 愛の仲間達 Living Together, Growing Together (1973 Bell records) - US #108
  • ソウル&インスピレーション Soul & Inspiration (1974 Bell records) - US #202
  • アースバウンド Earthbound (1975 abc records) - US #136
  • ホーム・クッキン Home Cookin (1976 abc records)→reissue:Live! Plus Rare Studio Recordings (2011/6/3 Soul Concerts)
  • スター・ダンシング Star Dancing (1978 Motown)
  • ハイ・オン・ザ・サンシャイン High On Sunshine (1978 Motown)
  • Now (1984 Buddaha records)→reissue:宇宙のファンタジー Fantasy (2004)
  • イン・ザ・ハウス In the House (1995/6/20 SONY/Columbia)
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脚注

外部リンク

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