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フィリピン・バスケットボール・アソシエーション

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フィリピン・バスケットボール・アソシエーション
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フィリピン・バスケットボール・アソシエーション英語: Philippines Basketball Association、略称:PBA)は、フィリピンのプロバスケットボールリーグである。

概要 フィリピン・バスケットボール・アソシエーション Philippine Basketball Association, 競技 ...
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概要

1938年よりフィリピンバスケットボール協会(BAP)傘下で行われていた実業団リーグのマニラ商工体育協会(MICAA)から脱退した9チームにより1975年4月9日に発足。アジア最古のバスケットボールリーグであり、世界的にもNBAに次ぐ歴史がある[1]

フィリピンは長らくアメリカの植民地だった事からバスケットボールが他のアジア諸国に比べ盛んであり、PBAもまた国民的スポーツとして人気が極めて高い。

ルールはFIBAルールとNBAルールを併用している。

1985年からはドラフトも行われている。

なお、フィリピンでは他にナショナル・ビッチ・カンファレンス(NBC)なる別のプロ組織もある。これは1998年に発足されたメトロポリタン・バスケットボール・アソシエーション(MBA)が一度中断し、2004年に再結成されたものである。

また、PBA所属選手はフィリピン代表としてはアジア大会に参加しているが、アジア選手権には参加していない。

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NBAとの相違点

1つのシーズンが、フィリピン人選手だけが参加するフィリピン・カップ(bobsの大きさ)(Philippines Cup)と、外国人選手の参加が認められるフィエスタ・カンファレンス(Fiesta Conference)の2つで構成されている。それぞれの優勝チームが対戦して年間王者を決定することはないため、独立した大会と見做される。

以前は1シーズンは3つに分かれており、3シーズンすべてに優勝したチームはグランド・スラムと呼ばれた。過去、グランド・スラムを達成したのは1976、83年のクリスパ、89年のサンミゲル、96年のアラスカの4チームある。

フランチャイズ制(本拠地制、ホーム&アウェイ方式)を採用していない。 全10チームすべてが首都マニラに本拠を置き、同じアリーナでプレイする。

2024年8月18日から始まったシーズン49で、リングから約6.75mの3点シュートラインをそのまま残し、 リングから約8.2m(27フィート)の距離に新たに4点シュートラインが設けられ、PBA独自のルールとして運用が始まった。 MERALCO BOLTS対MAGNOLIA HOTSHOTS戦の2Q残り10:28にBOLTS#6クリス・バンケロ選手(NBA選手パオロ・バンケロのいとこ)が初シュートを決めた。

チーム名は企業名+ニックネームであるのは日本のプロ野球と同様だが、特徴的なのは毎年のように名前が変わることである。 例えばヒネブラ(Ginebra)は、1979年にリーグに加盟したときはギルビー・ジン(Gilbey's Gin)だったが、その後St. George Whiskey、Anejo Rum 65、Ginnebra San Miguel、Gordon'sなどのチーム名で参戦している。これらはすべて酒造会社であるヒネブラの商品名である。日本のプロ野球でたとえると、千葉ロッテマリーンズがある年はロッテ・クールミンツ、次の年はガーナ・チョコレーツと呼ばれているようなものである。

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チームの変遷

  • 1975年4月9日に、キャリアー・ウェザーメイカーズ、クリスパ・レドマナイザーズ、ノリタケ・ポルセリンメイカーズ、プレスト・ジューサーズ、ロイヤル・トゥル・オレンジ、セヴンアップ・アンコーラズ、タンドゥアイ・ディスティラーズ、トヨタ・コメッツ、ユーテックス・ウィーヴァーズによって結成。
  • 1977年 - キャリアーが脱退。
  • 1978年 - セヴンアップが脱退。フィルマンバンク・バンカーズが加入。
  • 1979年 - ギルビー・ジンズが加入。
  • 1980年 - フィルマンバンクが脱退。テフィリン・ポリエスターズとガレオン・シッパーズが加入。
  • 1982年 - テフィリンとガレオンが脱退。
  • 1983年 - ユーテックスが脱退。マンハッタン・シャートメイカーズが加入。
  • 1984年 - トヨタとガレリー・ドミニクが脱退。ビアハウゼン・ブルーマスターズが加入。
  • 1985年 - クリスパとマンハッタンが脱退。シェル・ターボチャージャーズが加入。
  • 1986年 - アラスカミルク・キングス(現・アラスカ・エイセズ)が加入。
  • 1987年 - マニラビアが脱退。ピュアフーズ・ホットドッグスが加入。
  • 1988年 - タンドゥアイが脱退。
  • 1990年 - ポップコーラ・パンサーズ(現・コカコーラ・タイガース)とサーシ・シズラーズ(現・トーキンテクスト・フォンパルズ)が加入。
  • 1994年 - プレストが脱退。サンタルシア・リアルターズが加入。
  • 1999年 - タンドゥアイが再加入。
  • 2001年、タンドゥアイが脱退。レッドブル・エナジーキングス(現・レッドブル・バラコ)が加入。
  • 2002年 - フェデックス・エクスプレス(現・エア21)が加入。
  • 2006年 - シェルが脱退。ウェルコート・ドラゴンズが加入。
  • 2022年 - アラスカが脱退。コンバージ・ファイバーエクサーズが加入。

所属チーム

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開催地

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スマート・アラネタ・コロシアム
スマート・アラネタ・コロシアム
SMモール・オブ・アジア・アリーナ
SMモール・オブ・アジア・アリーナ
クネタ・アストロドーム
クネタ・アストロドーム
マニラ首都圏の会場マップ

PBAはフランチャイズ制を採用していないため、リーグが会場を借りて試合を行っている。通常、週3回マニラ首都圏のアリーナでダブルヘッダーを行い、土曜日には「out-of-town game」としてマニラ首都圏以外の地域で試合を行う。

多くの試合はケソン市スマート・アラネタ・コロシアムパサイSMモール・オブ・アジア・アリーナで行われる。両アリーナが使用できない場合、パサイのクネタ・アストロドーム英語版パシグフィルスポーツ・アリーナ英語版を会場とする。地方での試合は国内の特定の会場で開催される。プレーオフは通常、スマート・アラネタ・コロシアムで開催されていたが、リーグを国内全土に普及させるため、近年は地方でも行われている。

また、フィリピン国外でも何度か試合が行われており、その多くはフィリピン人コミュニティの多いドバイの開催である。

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歴代王者

2003年以降

さらに見る 年, カンファレンス ...

**The 2004 PBA Fiesta Conference was a transitional conference and was not a part of the 2003 or of the 2004-05 season.

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脚注

関連項目

外部リンク

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