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フェリーかつら

日本のフェリー ウィキペディアから

フェリーかつら
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フェリーかつらは、大阪高知特急フェリーが運航していたフェリー

概要 フェリーかつら, 基本情報 ...
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概要

大阪高知フェリーのフェリー化第一船として幸陽船渠で建造され、1971年9月20日に就航[3]関西汽船より継承した在来客船の一部運航を置き換えた。翌1972年、土佐特急フェリーとの合併により、社名は大阪高知特急フェリーとなった。

1981年4月、ニューかつらの就航により引退。1982年2月、関西汽船に用船され[1]、12月に室戸汽船から用船したフェリーむろと (初代)くるしま丸として就航するまで、小倉 - 松山航路で運航された。

返船後、1984年に永雄商事に売船[4]、1990年、フィリピンのSweet Linesに売却され、Sweet Gloryとして就航した。

就航航路

大阪高知特急フェリー(1971年 - 1981年)

就航当初3ヶ月は在来客船「平和丸」「明石丸」と併用された。同型船「フェリーなにわ」の就航により完全フェリー化された後は、本船との2隻により昼夜各1往復(火曜は夜行のみ)[5]を運航したが、1975年以降は夜行便1往復となり、繁忙期に臨時便として昼行便1往復を増便する形となった[6]
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設計

フェリーなにわの同型船である。

船内

船室

  • 特等室(4名×2室)
  • 一等室(68名)
  • 特二等室(200名)
  • 二等室(442名)
  • ドライバー室(106名)

設備

  • 案内所
  • 上等級用ラウンジ
  • 売店
  • 自動販売機
  • 浴室
  • ゲームコーナー
竣工時にはレストラン、スナック、喫茶・バーも存在した[7]

事故・インシデント

1975年4月29日、22時28分ごろ、大阪南港から高知港へ向かっていた本船は、の神戸港和田防波堤燈台の西方10.1海里の大阪湾内の地点でコンテナ船サンシンスターと衝突した。本船とサンシンスターのいずれも22時10分ごろには、レーダーで相手船を確認していたが、本船は右転、サンシンスターは左転してかわそうとしたため、それぞれ方位がかわらないまま接近、サンシンスターの船首が本船の左舷船首部に船首から約80度の角度で衝突した。衝突により、本船は左舷船首部の外板に長さ約19メートル×幅約6メートルの損傷を生じ、サンシンスターは船首材が圧壊した。また、本船の旅客13名が軽い打撲傷を負った。事故発生当時、霧が出ており、視程は600 - 700メートルと悪化していた。事故原因は、本船およびサンシンスターが霧のため視界が制限される状態で過大な速力で進行し、著しく接近する他船の存在をレーダーで確認しながら、停船など衝突回避処置が十分でなかったこと、とされた[8]

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脚注

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