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フランシス・チャータリス=ウィームズ=ダグラス (第7代ウィームズ伯爵)

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フランシス・チャータリス=ウィームズ=ダグラス (第7代ウィームズ伯爵)
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第7代ウィームズ伯爵および第5代マーチ伯爵フランシス・チャータリス=ウィームズ=ダグラス英語: Francis Charteris-Wemyss-Douglas, 7th Earl of Wemyss and 5th Earl of March1795年8月14日1883年1月1日)は、スコットランド出身の貴族。1808年から1853年までエルホー卿儀礼称号を使用した[1]

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第7代ウィームズ伯爵の肖像写真。ジョン・ジャベズ・エドウィン・メイオール英語版撮影、1860年代。

生涯

フランシス・チャータリス(1772年 – 1853年、1808年よりウィームズ伯爵を自称、1826年に正式に爵位継承)とマーガレット・キャンベル(Margaret Campbell、1850年1月25日没、ウォルター・キャンベル英語版の娘)の息子として、1795年8月14日に生まれた[1]

1819年12月15日、ロイヤル・ミッドロージアン・ヨーマンリー英語版の大尉への辞令を受けた[2]。その後、少佐への昇進を経て1829年1月1日に中佐に昇進した[3]。1836年、軍務から辞任した[4]

1823年7月22日、イースト・ロジアン副統監の1人に任命された[5]

フリーメイソンの一員として、1827年から1829年までスコットランド・グランドロッジ英語版グランドマスター英語版を務めた[6]

1853年6月28日に父が死去すると、ウィームズ伯爵位とマーチ伯爵位を継承した[1]。同年8月10日よりピーブルスシャー統監を務め、1880年4月20日までに辞任した[7]

1883年1月1日にゴスフォード・ハウス英語版で死去、ハディントン英語版のトリニティ・チャーチ(Trinity Church)に埋葬された[1]。息子フランシス・リチャード英語版が爵位を継承した[1]

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家族

1817年8月22日、在パリイギリス大使館でルイーザ・ビンガム(Louisa Bingham、1798年3月1日 – 1882年4月16日、第2代ルーカン伯爵リチャード・ビンガムの娘)と結婚[1]、5男3女をもうけた[8]

  • フランシス・リチャード英語版(1818年8月4日 – 1914年6月30日) - 第8代ウィームズ伯爵、第6代マーチ伯爵
  • リチャード(1822年7月25日 – 1874年3月10日) - 1858年8月2日、マーガレット・バトラー(Margaret Butler、1915年2月21日没、第2代グレンゴール伯爵リチャード・バトラーの娘)と結婚、子供あり
  • マーガレット(1824年12月21日 – 1836年6月)
  • ジョージ(1826年6月18日 – ?) - 夭折
  • アン(1829年7月29日 – 1903年8月16日) - 1852年2月18日、第4代ウォリック伯爵ジョージ・グレヴィル英語版と結婚、子供あり
  • ルイーザ(1830年9月28日 – 1920年3月16日) - 1854年12月7日、ウィリアム・ウェルズ英語版(1889年5月1日没)と結婚
  • ウォルター(1854年10月25日没) - 軍人、クリミア戦争バラクラヴァの戦いで戦死
  • フレデリック・ウィリアム(1833年2月28日 – 1887年10月10日) - 1864年11月30日、ルイーザ・ケッペル(Louisa Keppel、1836年5月 – 1930年3月12日、第6代アルベマール伯爵ジョージ・トマス・ケッペル英語版の娘)と結婚、子供あり
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出典

外部リンク

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