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フレッド・シャウス
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フレデリック・アップルトン・シャウス (Frederick Appleton Schaus, 1925年6月30日 - 2010年2月10日) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長196cm、体重93kg。ポジションはスモールフォワード。
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経歴
選手時代
オハイオ州ニューアークで生れたシャウスはウェストバージニア大学に進学し、2年間で平均16.4得点の成績を残した。卒業後、1949年のBAAドラフト3巡目でフォートウェイン・ピストンズに入団した。
シャウスは1年目からチームトップの平均14.3得点を記録し、オールNBA2ndチームに選出された。翌1950-51シーズンはキャリアハイの平均15.1得点をあげ、この年開催された第1回オールスターゲームにも出場した。その後ラリー・フォウストらの台頭により成績が徐々に下降し、1953-54シーズン途中にニューヨーク・ニックスに移籍した。ニックスで残りのシーズンをプレーした後現役を引退した。
NBAでの成績は、334試合の出場で通算4,070得点1,609リバウンド(平均12.2得点6.0リバウンド)であった。
指導者時代
現役引退後、シャウスは母校ウェストバージニア大学のヘッドコーチに就任し、6シーズン連続でチームをNCAAトーナメント進出に導いた。1959年にはジェリー・ウェストを擁して決勝に進んだがカリフォルニア大学に敗れた。ウェストバージニア大学では勝率.798という優れた戦績を残した。
カレッジでの実績を評価されたシャウスは、1960年にロサンゼルス・レイカーズのヘッドコーチに抜擢された。同年レイカーズに入団した教え子のウェストやエルジン・ベイラーを擁したチームはリーグ屈指の強豪となり、シャウスが指導した7年間で4度ファイナルに進出したが、いずれもボストン・セルティックスに敗れた。シャウスは1967年にヘッドコーチを退任してレイカーズのゼネラルマネージャーに就任し、1972年のリーグ制覇に大きく貢献した。
1972年、シャウスはNBAを離れてパデュー大学のヘッドコーチに就任し、1978年まで務めた。1974年にはチームをNITトーナメント優勝に導いている。カレッジでの戦績は計12シーズンで250勝97敗(勝率.720)であった。シャウスはNCAAトーナメント決勝、NITトーナメント決勝、NBAファイナルの全てに進出した唯一のヘッドコーチである。
シャウスは2010年、ウェストバージニア州モーガンタウンにて84歳で死去した。
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個人成績
* | リーグ1位 |
太字 | キャリアハイ |
レギュラーシーズン
プレーオフ
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コーチ戦績
NBA
外部リンク
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