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フレディ&ザ・ドリーマーズ
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フレディ&ザ・ドリーマーズ (Freddie and The Dreamers)は、イギリスのバンド。 子供受けする楽曲や、飛んだり跳ねたりするユニークなステージアクトで、人気を博す。
主要メンバー
- フレディ・ギャリティ (Freddie Garrity) - 1936年11月14日、マンチェスター生まれ。ボーカル担当。2006年5月19日死去。
- ロイ・クリュードソン (Roy Crewdson) - 1941年5月29日、マンチェスター生まれ。リズム・ギター兼ボーカル担当。
- ピート・ビレル (Pete Birrell) - 1941年5月9日、マンチェスター生まれ。ベース兼ボーカル担当。
- デレク・クイン (Derek Quinn) - 1942年5月24日、マンチェスター生まれ。リード・ギター兼ボーカル担当。2020年10月22日死去。
- バーニー・ドワイヤー (Bernie Dwyer) - 1940年9月11日、マンチェスター生まれ。2002年12月4日死去。ドラムス担当。
来歴
要約
視点
デビュー前
リーダーのフレディ・ギャリティは、1936年11月14日、マンチェスターに生まれる。彼のアイドルは、アル・ジョルソンだった。学校を卒業した彼は、クツ屋、エンジニア、牛乳配達等を転々とし、当時イギリスでブームになったスキッフルのバンドに身を置いていた。
レッド・ソックスやジョン・ノーマン・フォーを経て知り合ったロイ・クリュードソンと共に、キングフィッシャーズを結成。デレク・クイン、ピート・ビレル、バーニー・ドワイヤーの三人が加わり、グループはフレディ&ザ・ドリーマーズと名乗る。グループは、デビュー前のザ・ビートルズとも1962年9月12日、キャバーン・クラブで共演している。
デビューへ
クラブやボールルームを廻っていた彼らは、第2のビートルズを探していたEMIのタレント・スカウトに見出され、1963年6月、ジェームズ・レイのカバー「恋の傷 (If You Gotta Make A Fool Of Somebody)」でデビューする。チャートの3位を記録する。
続く「好きなんだ (I'm Telling You Now)」も2位、「君は僕の君 (You Were Made For Me)」は3位を記録し、デビュー以来3曲連続全英トップ3入りという快挙を達成する。そして、1963年リリースのアルバム『Freddie And The Dreamers (日本語タイトル:フレディとドリーマーズ登場)』もイギリスのチャートで5位を記録。さらに、映画『ホワット・ア・クレイジー・ワールド』『毎日が休日』等にも出演。
渡米
1964年、民謡蛍の光をアレンジした「アイ・アンダースタンド」が5位を記録して以後、イギリスでは大ヒットに恵まれていないが、1965年頃アメリカで人気が出る。彼らはアメリカに行き、『シンディグ!』や『エド・サリヴァン・ショー』等に出演を果たす。そしてアメリカで「ドゥ・ザ・フレディ」が18位、「好きなんだ」が1位を、それぞれ記録する。更に、ギャリティが曲の間奏等で、両手両足を振り上げたり、ジャンプして奇声を上げるステージアクトが、いつしかザ・フレディと名付けられるようになった。
しかし、アメリカでのブームが終わると、本国イギリスに戻り、活動を続けるが、ヒットは出ず、1968年に解散。ギャリティとビレルは、子供向けの番組、『リトル・ビッグ・タイム』に出演する。
後年
そして1976年、ギャリティは、新たなメンバーで、ドリーマーズを再結成、オーストラリアやイギリス、アメリカを廻っている。
しかし、ギャリティは肺高血圧で、これ以上活動を続けるのは良くない、と医師から診断され、2001年2月のコンサートをもって引退する。
オリジナル・メンバーの一人だったドワイヤーは、2002年12月4日、肺癌で死去。62歳だった。
そしてギャリティも、肺気腫にかかり、闘病していたが、2006年5月19日に死去。69歳だった。
ドリーマーズは、現在卸小売業をしているデレク・クイン[2]の息子、マイク・クインを中心に活動している。
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ディスコグラフィー
シングル・ディスコグラフィー
アルバム・ディスコグラフィー
脚注
参考文献
関連項目
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