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ブルドッグ・ブラワー

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ブルドッグ・ブラワー
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ディック "ザ・ブルドッグ" ブラワーDick "The Bulldog" Brower、本名:Richard Gland1933年9月17日 - 1997年9月15日)は、アメリカ合衆国プロレスラーデラウェア州ウィルミントン出身。

概要 ブルドッグ・ブラワー, プロフィール ...

ニューヨークオハイオなどのアメリカ北東部や、デトロイトトロントなどの五大湖地区を主戦場に、ヒールのブルファイターとして活躍した[1][2]

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来歴

要約
視点

5歳で20キロの丸太を担いだという伝説を持つ怪童[4]。学生時代はウェイトリフティングレスリングで活動し[4]カイロプラクティックのスクールを中退後[1]1958年にプロレスラーとしてデビュー[3]。人の体を治す立場から一転して壊す立場となり[1]デラウェア・デストロイヤーThe Delaware Destroyer)の異名を持つ巨漢ヒールとしてカルガリートロントなどカナダの主要テリトリーで活動[2]

カルガリーでは1961年にマイティ・ウルススことジェス・オルテガと抗争を展開[5]。トロントではジョニー・バレンタインと組み、1963年2月28日にブルーノ・サンマルチノ&ホイッパー・ビリー・ワトソンからNWAインターナショナル・タッグ王座を奪取した[6]1964年には太平洋岸北西部バンクーバーにて、ジン・キニスキードン・レオ・ジョナサンエンリケ・トーレスベアキャット・ライトキンジ渋谷などと対戦している[7]

1960年代中盤よりWWWFに参戦し、1966年11月7日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、ブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦[8]フィラデルフィアピッツバーグでもサンマルチノに再三挑戦し、エドワード・カーペンティアボボ・ブラジルとも対戦した[9]1968年1月にはグレート東郷のブッキングでTBSプロレス時代の国際プロレスに初来日している(同時参加はルー・テーズダニー・ホッジワルドー・フォン・エリックハンス・シュミットなど)[10][11]

以降もアメリカ北東部五大湖エリアを主戦場に、NWFでは1969年から1970年にかけて、ジョニー・パワーズアーニー・ラッドと北米ヘビー級王座を巡る抗争を展開[12]。NWFに参戦していたザ・シークとも、トロントやクリーブランドなど各地で流血戦を繰り広げた[13]。WWWFへの出場も続け、1971年には新王者ペドロ・モラレスにも東部各地で挑戦している[14]

1972年2月にはエース格としてハーリー・レイスらと共に日本プロレスに参戦、2月29日に大田区体育館にてジャイアント馬場インターナショナル・ヘビー級王座に挑んだ[15]1970年代前半は南半球にも度々遠征して、オーストラリアではスパイロス・アリオン[16]ニュージーランドではジョン・ダ・シルバとタイトルを争った[17]

1975年、エディ・アインホーンとNWFの残党がミル・マスカラスを世界王者としてアメリカ北東部で旗揚げしたIWAに参戦[18]。エースのマスカラスやNWF時代の旧敵ラッドをはじめ、サンダーボルト・パターソンマイティ・イゴールディノ・ブラボーらと抗争した[18]ビンス・マクマホンの対抗勢力に協力した形となったが、IWAの崩壊後はキャプテン・ルー・アルバーノマネージャーにWWWF / WWFに再登場。1979年4月30日のMSG定期戦ではボブ・バックランドWWFヘビー級王座に挑戦した[19]

1980年カルロス・コロンの主宰するプエルトリコWWCにて、4月14日にルーク・グラハムのパートナーとしてWWC北米タッグ王座を獲得している[20]。WWFには1981年にも登場し、10月4日にイースト・ラザフォードにて、ラリー・シャープと組んでリック・マーテル&トニー・ガレアWWFタッグ王座に挑戦[21]。その後は1983年10月、デトロイトで行われたNWAアメリカン・タッグ王座(フリッツ・フォン・エリックの主宰するテキサス州ダラス地区のタイトル)争奪トーナメントにてロディ・パイパーとのコンビで優勝したとして、チャンピオン・チームに認定された[22]

1988年に現役を引退[3]。晩年は糖尿病との闘病を続けていたが、1997年9月15日、股関節手術後の合併症により死去[2]63歳没

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逸話

全盛期の1960年代、ターンバックルのクッションを外し、露出させた金具に相手の頭を打ちつけようとして失敗、自らの後頭部を金具に引っ掛けて負傷[1]。頭蓋骨が見えるほどの重傷を負うも、そのまま試合を続け、数日後には普通にリングに上がったという。

得意技

獲得タイトル

ナショナル・レスリング・フェデレーション
メープル・リーフ・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
  • NWA豪亜ヘビー級王座:1回[16]
オールスター・プロレスリング
ワールド・レスリング・カウンシル
NWAビッグタイム・レスリング
インターナショナル・レスリング・アソシエーション
  • IWA北米ヘビー級王座:1回[23]

脚注

外部リンク

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