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ホセバ・エチェベリア

スペインのサッカー選手 ウィキペディアから

ホセバ・エチェベリア
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ホセバ・アンドニ・エチェベリア・リサルディJoseba Andoni Etxeberria Lizardi1977年9月5日 - )は、スペインバスク州エルゴイバル出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。2023年5月よりSDエイバルの監督を務めている。

概要 ホセバ・エチェベリア, 名前 ...
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クラブ経歴

バスク州エルゴイバルに生まれ、レアル・ソシエダの下部組織で育った。17歳だった1995年1月29日、RCDエスパニョール戦(2-0)でトップチームデビューした。同年夏、ライバルのアスレティック・ビルバオに移籍した。この際に支払われた移籍金は18歳以下のスペイン人選手に対する金額としては史上最高額の300万ユーロ以上であり、アスレティック・ビルバオの史上最高額となった。1997-98シーズンにはリーグ戦で11得点し、FCバルセロナに次ぐ2位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。1998-99シーズンの同大会ではローゼンボリBK戦で得点した。2002-03シーズンは自己最多の14得点を挙げている。

2000年代後半には出場機会が減少し、2008年10月1日、2009-10シーズン終了後に現役引退することと、ファンやチームに対する感謝の証としてこのシーズンを無給でプレーすることを発表した[1][2][3]。なお、この後には選手組合の配慮により、労働者としての最低賃金は組合から受け取ることになった。現役最後のシーズンは成功とは言えず、リーグ戦7試合出場無得点、UEFAヨーロッパリーグ7試合出場2得点に終わった。2010年5月15日にホームで行われたデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦(2-0)が最終戦となり、交代の際にはスタンディング・オベーションが贈られた。アスレティック・ビルバオでは17シーズンで公式戦514試合に出場して105得点を記録し、ホセ・アンヘル・イリバルホセ・フランシスコ・ロホ(José Francisco Rojo)に次ぐ当時の歴代3位の出場試合数を数えた[4]。キャプテンも務め、クラブの象徴的な存在であった。引退試合はチャリティーマッチ(「アスレティック・ビルバオ11人対サッカー少年200人」)として開催された[5]

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代表経歴

1995年にはU-20スペイン代表としてFIFAワールドユース選手権に出場し、7得点を挙げて得点王に輝くとともに準決勝進出に貢献した。

1997年11月19日、パルマ・デ・マヨルカで行われたルーマニアとの親善試合(1-1)でスペインA代表デビューし、この試合で代表初得点を挙げた。その後レギュラーに定着し、1998年にフランスで開催された1998 FIFAワールドカップでは3試合に出場した。UEFA欧州選手権2000予選では5得点を挙げ、UEFA欧州選手権2000本大会にも出場した。2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では1得点に終わり、日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップ本大会出場も逃した。しかし、2002-03シーズンにはリーグ戦で14得点を挙げて代表に復帰し、UEFA欧州選手権2004予選プレーオフのノルウェー戦セカンドレグでは貴重な得点を挙げた。

指導者経歴

現役引退後の2012年から古巣アスレティック・ビルバオの下部組織で指導者としてのキャリアをスタートさせた。2017年にSDアモレビエタの監督に就任し、監督として独り立ちしてからは主にセグンダ・ディビシオンのクラブを率いている。

個人成績

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代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 53試合 12得点(1997年-2004年)[7]
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得点

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脚注

外部リンク

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