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ポーズコート子爵

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ポーズコート子爵(: Viscount Powerscourt, [ˈpɔːrzkɔːrt],PORZ-kort [1])は、イギリスの子爵貴族アイルランド貴族爵位。過去に3度創設されており、いずれもウィンフィールド家に対する叙爵である。

概要 ポーズコート子爵 Viscount Powerscourt, 創設時期 ...

駐日アイルランド大使館では「パワーズコート」の表記を使用している[2]

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歴史

要約
視点

第1期(1618年)

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一族の旧邸宅であるポーズコートハウス

ウィンフィールド家の祖サー・リチャード・ウィンフィールド英語版(1550-1634)サフォーク出身の軍人で、16世紀後半にアイルランド島に渡ったのち定住した[3]。彼は1618年アイルランド貴族としてポーズコート子爵(Viscount Powerscourt)に叙せられた[4]。これがウィンフィールド家に対する初の叙爵例であったが、彼には子がなかったため、同人の死を以て、爵位は廃絶した。

第2期(1665年)

ウィックロー選挙区英語版選出のアイルランド庶民院議員を務めたフォリオット・ウィンフィールド英語版(1642-1717)は、1665年アイルランド貴族爵位のポーズコート子爵(Viscount Powerscourt)に叙されて貴族院に転じた[5]。彼にも男子がなかったため、爵位は再び廃絶した[5]

第3期(1743年)

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2代子爵エドワード

リチャード・ウィンフィールド(1697-1751)は、1743年にアイルランド貴族としてウィックロー県ポーズコートのポーズコート子爵(Viscount Powerscourt, of Powerscourt in the County of Wicklow)およびウェックスフォード県ウィンフィールドのウィンフィールド男爵(Baron Wingfield, of Wingfield in the County of Wexford)に叙せられた。彼ののちはその息子エドワードが爵位を襲った[6][7]

2代子爵エドワード(1729-1764)は襲爵後に、ストックブリッジ選挙区英語版選出の庶民院議員を務めた[6]。彼は未婚のまま死去したため、爵位は弟リチャードが相続した。以降、現在に至るまで彼の男系子孫によってポーズコート子爵位は継承され続けている[6]

4代子爵リチャード(1762-1809)は、グレートブリテン王国アイルランド王国との合併を図る合同法に反対する急先鋒であったという[6]

その息子である5代子爵リチャード(1790-1823)は1821年から1823年にかけてアイルランド貴族代表議員を務めた。また彼の代に、ジョージ4世が一族の邸宅であるポーズコート・ハウスを訪れている[6][8]

その孫にあたる7代子爵マーヴィン(1836-1904)は貴族代表議員や枢密顧問官を歴任したほか、1885年に連合王国貴族としてウィックロー県ポーズコートのポーズコート男爵(Baron Powerscourt, of Powerscourt in the County of Wicklow)に叙された。そのため、以降の歴代当主は1999年貴族院改革まで貴族院に対して自動的に議席を得ることとなった[6][7][9]

その子の8代子爵マーヴィン(1880-1947)ウィックロー統監を務めた人物で[10]、1922年のアイルランド自由国成立以降も同国で活躍、1932年12月にはロイヤル・ダブリン・ソサエティ英語版会長に選出された[11]

一族のかつての邸宅は、ウィックロー県エニスケリー近郊のポーズコート・ハウス

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現当主の保有爵位

現当主である第11代ポーズコート子爵マーヴィン・アンソニー・ウィンフィールドは、以下の爵位を有する[6]

  • 第11代ウィックロー県ポーズコートのポーズコート子爵(11th Viscount Powerscourt, of Powerscourt in the County of Wicklow)
    (1743年2月4日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第11代ウェックスフォード県ウィンフィールドのウィンフィールド男爵(11th Baron Wingfield, of Wingfield in the County of Wexford)
    (1743年2月4日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第5代ウィックロー県ポーズコートのポーズコート男爵(5th Baron Powerscourt, of Powerscourt in the County of Wicklow)
    (1885年6月27日の勅許状による連合王国貴族爵位)
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一覧

ポーズコート子爵(第1期:1618年)

  • 初代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールド英語版 (1550–1634)

ポーズコート子爵(第2期:1665年)

  • 初代ポーズコート子爵フォリオット・ウィンフィールド英語版 (1642-1717)

ポーズコート子爵(第3期:1743年)

爵位の推定相続人は、現当主の遠戚[註釈 1]リチャード・デイヴィッド・ウィンフィールド(1966–)。

ポーズコート男爵位(1885年創設の連合王国貴族爵位)には現在、法定推定相続人も推定相続人もいない。

家系図

16. 6代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールド
8. 7代ポーズコート子爵マーヴィン・ウィンフィールド
17. エリザベス・ジョスリン
4. 8代ポーズコート子爵マーヴィン・ウィンフィールド
18. 2代レスター伯爵トマス・クック
9. ジュリア・クック
19. ジュリアナ・ホィットブレッド
2. 9代ポーズコート子爵パトリック・ウィンフィールド英語版
20. エドワード・プレイデル=ブーヴェリー英語版
10. ウォルター・プレイデル=ブーヴェリー
21. エリザベス・バルフォア
5. シビル・プレイデル=ブーヴェリー
22. ウィリアム・ブリッジマン=シンプソン
11. メアリー・ブリッジマン=シンプソン
23. フランセス・ウェントワース=ウィリアム
1. 第10代ポーズコート子爵マーヴィン・ウィンフィールド
クロード・ベディントン
3. シェイラ・ベディントン英語版
28. トマス・ホーマン=マロック
14. フランシス・ホーマン=マロック
29. フランセス・ベリー
7. フランセス・ホーマン=マロック
30. エドワード・ブラッドン英語版
エーテル・ブラッドン
31. エイミー・パーマー
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脚注

外部リンク

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