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マーカス・キャンビー

アメリカのバスケットボール選手 (1974-) ウィキペディアから

マーカス・キャンビー
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マーカス・ディオン・キャンビーMarcus Dion Camby, 1974年3月22日 - )は、アメリカ合衆国コネチカット州ハートフォード出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはセンター

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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地元の高校を卒業後、マサチューセッツ大学に進学。3年生の時に平均20.5得点、8.2リバウンドを記録し、ネイスミス賞やウッデン賞を受賞した。

大学3年を終えた時点でアーリーエントリーを宣言。史上最高のドラフト年とも言われる1996年のNBAドラフト(他選手にはアレン・アイバーソンコービー・ブライアントなど)で、トロント・ラプターズから全体で2位の指名を受けNBA入り。ルーキーシーズンに14.8得点6.3リバウンド2.6ブロックの好成績を残し、オールルーキー1STチームに選出された。

2シーズンラプターズでプレーした後に、ニューヨーク・ニックスにトレードされる。ニックスは8位でプレイオフに出場するが、パトリック・ユーイングアラン・ヒューストンラリー・ジョンソンラトレル・スプリーウェルの活躍でNBAファイナルまで進出する。ファイナル前に中心選手のユーイングが怪我をしてしまい、インサイドをキャンビーに頼る苦しい状況になる。キャンビーはガッツ溢れるプレーで奮闘するものの、サンアントニオ・スパーズツインタワーと呼ばれてインサイドが強く敗退してしまう。最初の2シーズンはベンチ出場だったが、3年目の00-01シーズンにスターターに昇格。12.0得点11.5リバウンドの成績を残す。

しかし翌シーズンは怪我の影響でシーズンの大半を欠場。シーズン終了後にデンバー・ナゲッツに移籍。ところがここでもまた怪我でシーズンの大半を欠場する。

コンディションを整えて望んだ03-04シーズン、ナゲッツは96年ドラフトに引けを取らないタレントの揃う03年ドラフト生の中から、大学時代全米優勝を果たした新進スターのカーメロ・アンソニーを獲得。チームは久々のプレーオフに進出する。

オフに突入したナゲッツはフロントコートの補強にニュージャージー・ネッツのスターケニオン・マーティンを獲得。キャンビーとのインサイドコンビに期待がかかった。05-06シーズン序盤苦戦を強いられたものの、ヘッドコーチの交代によりプレーオフに滑り込む。

06-07シーズンは、これまで怪我による欠場が多かったキャンビーはシーズンで70試合とまずまずの試合数をこなした。一試合平均3.3ブロックはリーグ1位、11.7リバウンドはリーグ5位でキャリア初の最優秀守備選手賞を獲得、オールディフェンシブ1stチームにも選出された。

翌07-08シーズン、キャンビーは一試合平均3.6で、3年連続4度目のブロック王となった。最優秀守備選手賞の投票では2位となったが、オールディフェンシブ1stチームには再び選出。リーグを代表するディフェンスプレーヤーとなった。

2008年オフ、キャンビーは膨らみすぎたナゲッツのサラリーの清算という理由で、ほぼ無償でロサンゼルス・クリッパーズへ移籍することとなった[1]

契約最終年の2010年途中、本人はロサンゼルス・クリッパーズに残ることを望んでいたが、グレッグ・オデンジョエル・プリジビラが怪我で今季絶望に追い込まれ、インサイドの補強を強く希望していたポートランド・トレイルブレイザーズスティーブ・ブレイクトラビス・アウトローとの交換でキャンビーは移籍することとなった[2]

2012年3月15日、トレードでヒューストン・ロケッツへ加入。

2012年7月11日、トレードで古巣のニューヨーク・ニックスへ移籍した。ロケッツはトニー・ダグラスジョシュ・ハレルソンジェローム・ジョーダンの3選手と2つのドラフト2巡目指名権を得た。2012-13シーズン、怪我で殆ど出場出来ず[3]、プレーオフ1回戦のボストン・セルティックス戦の第6戦に出場したのが結果的に現役最後の試合となった[4]

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プレースタイル

オフェンスよりもディフェンスで活躍するタイプのプレーヤーで、特にリバウンドブロックを量産した。

個人成績

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NBA

レギュラーシーズン

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プレーオフ

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その他

  • 1997年マリファナ所持により逮捕され[5]、16時間の奉仕活動を課せられた。
  • 2001年のプレイオフ期間中、実家に強盗が押し入り、キャンビーの母親と二人の妹が監禁され、妹は暴行を受けた。犯人はキャンビーと話をすることを要求し、キャンビーは実家に赴いたものの会話をするには至らなかった。犯人は事件発生から9時間後に逮捕された[6]
  • キャンビーは右肩から右腕にかけて漢字で大きく「勉族」とタトゥーを入れている[7]。「勉」は勤勉、「族」は家族を意味するとのことである。

脚注

外部リンク

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