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ケニオン・マーティン

アメリカのバスケットボール選手 ウィキペディアから

ケニオン・マーティン
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ケニオン・リー・マーティン・シニアKenyon Lee Martin Sr., 1977年12月30日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州サギノー出身の元プロバスケットボール選手。NBAデンバー・ナゲッツなどで活躍した。ポジションはパワーフォワード。愛称は"K-Mart"。息子のケニオン・マーティン・ジュニアもNBA選手。

概要 基本情報, 愛称 ...
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経歴

学生時代

シンシナティ大学に4年間在籍しダーマー・ジョンソンらと共にプレイした。2000年には優秀な選手に贈られるジョン・ウッデン賞(John R. Wooden Award)とジェームズ・ネイスミス賞(Naismith College Player of the Year)を獲得した。1999年ユニバーシアードアメリカ代表として金メダル獲得。

NBA

2000年NBAドラフトでは期待通りの全体1位指名を受け、ニュージャージー・ネッツに入団した。ルーキーシーズンでは、68試合に先発出場し、平均12得点、7.4リバウンド1ブロックを記録。見事オールルーキー1stチームに選出された。2003-2004シーズンでは、キャリア初のNBAオールスターゲームに出場。ネッツでは4シーズンに渡りプレーしたが、2004年将来のドラフト1巡目指名権と引き換えのトレードでデンバー・ナゲッツに移籍した。

それまでのネッツでの活躍は司令塔ジェイソン・キッドの存在があってこそ、という評価がささやかれながらも、ナゲッツでの初年度である2004-05シーズンは70試合に出場した。翌2005-06シーズンは膝の故障のために56試合の出場に留まったがプレイオフには出場。しかしながら、4月25日に行われたロサンゼルス・クリッパーズとの1回戦第2試合において、「膝を痛めた」として後半を欠場。これは前半に7分しか出場できなかったことで憤りを感じ、ハーフタイム中にジョージ・カールHCと衝突したことが原因とされる。両者には亀裂が走ったが、2006-07シーズン開幕前には関係が回復されたと報じられた(移籍の噂も多々あった)。期待された新シーズンだったものの、開幕2試合で右膝を悪化させて戦線離脱。内視鏡手術を受けた後、症状が予想以上に悪かったことが判明した。シーズン中の復帰は絶望的になってしまった。その後2007-08シーズンには71試合に出場したものの以前ほどのインパクトを失いつつある。

2011年夏、フリーエージェントとなった彼はロックアウト中のNBAから、中国プロバスケットボールリーグ新疆フライングタイガースと1年契約を結んだ。同年12月24日、チームから解雇された。当初中国のリーグが終了するまでNBAへの復帰は認められないはずであったが、国際バスケットボール連盟の許可がおり、それより早く契約を結べるようになり、2012年2月3日、ロサンゼルス・クリッパーズと契約を結んだ[1]

2015年1月9日、ミルウォーキー・バックス10日間契約を結び、その後正式にシーズン終了までの契約を結んだが、2月19日のトレード期限日にロースターの再編成の関係で解雇。

2015年7月1日、現役引退を発表した[2]

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個人成績

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NBA

レギュラーシーズン

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プレーオフ

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CBA

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家族構成

バスケットボール選手のリチャード・ロビーは異母弟にあたる。ストリートボールロバート・マーティン英語版とは従兄弟同士である。息子のケニオン・マーティン・ジュニアもバスケットボール選手。

脚注

外部リンク

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