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ミハエラ・クライチェク

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ミハエラ・クライチェク
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ミハエラ・クライチェクMichaëlla Krajicek チェコ語: Michaela Krajíčková, 1989年1月9日 - )は、オランダデルフト出身の女子プロテニス選手。1996年ウィンブルドン男子シングルス優勝者、リカルト・クライチェクの妹である。これまでにWTAツアーでシングルス3勝、ダブルス4勝を挙げている。身長177cm、体重68kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

概要 ミハエラ・クライチェクMichaëlla Krajicek, 基本情報 ...
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来歴

ミハエラは3歳の時から、父親の手ほどきでテニスを始めた。彼女が7歳の時、兄のリカルトが1996年ウィンブルドン男子シングルスで優勝し、オランダのテニス選手として最初の4大大会男子シングルス優勝者になった。兄とは年が離れた末っ子のミハエラも、ジュニア時代に全米オープン2003年2004年の2年連続でジュニア女子シングルスの決勝に進出し、優れたテニスの技量を発揮し始めた。2003年の全米女子ジュニアでは準優勝だったが、2004年全仏オープンのジュニア女子ダブルスで優勝し、全米オープンではジュニアで単複優勝を果たす。2005年全豪オープンで4大大会にデビューしたミハエラは、予選3試合を勝ち上がり、初出場の本戦でもパティ・シュナイダーとの2回戦まで進んだ。しかし、6月中旬のオランダスヘルトーヘンボス大会(芝生コート、ウィンブルドン前哨戦の1つ)で、ミハエラはメガン・ショーネシーとの対戦中に右膝を痛め、右膝の外側半月板損傷の修復手術を受けた。4ヶ月の休養の後、10月のウズベキスタンタシュケント大会で女子ツアー初優勝を果たしている。

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2007年全豪オープンにて

2006年の成績は、女子ツアーでシングルス2勝・ダブルス2勝があり、ダブルスは両方ともヤネッテ・フサロバと組んで優勝した。4大大会では、全豪オープンアメリ・モレスモとの3回戦に進んだが、全米オープンでは1回戦でマリア・シャラポワと当たってしまう。2007年全豪オープンでは1回戦敗退に終わったが、全仏オープンで初の3回戦に進出する。ウィンブルドンで「第31シード」に選ばれたクライチェクは、この大会で初の4大大会ベスト8に進出し、準々決勝でマリオン・バルトリに 6-3, 3-6, 2-6 で敗退した。2007年度の4大大会では、ダブルスでもアグニエシュカ・ラドワンスカと組み、全仏オープンとウィンブルドンの2大会連続で3回戦に勝ち進んだ。

近年のクライチェクは左手首と膝に故障を抱え、女子ツアーでの成績が低迷している。4大大会のシングルスでは予選敗退が続いていたが、2011年全米オープンで予選を勝ち上がり、3年ぶりに4大大会の本戦に出場した。1回戦でエレニ・ダニリドゥに 3-6, 7-6(4), 6-1 で勝利したが、2回戦でセリーナ・ウィリアムズに 0-6, 1-6 で完敗した。

2014年全仏オープンではルーシー・ハラデツカ2015年全豪オープンではバルボラ・ストリコバと組みベスト4に進出するなどシングルスよりもダブルスの活躍が多くなった。

2014年6月ドイツのテニス選手マルティン・エメリッヒ英語版と婚約した[1]。2015年7月に結婚した。

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WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 3回 (3勝0敗)

さらに見る 大会グレード, 2008年以前 ...
さらに見る 結果, No. ...

ダブルス: 16回 (5勝11敗)

さらに見る 結果, No. ...
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4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

さらに見る 大会, 通算成績 ...

脚注

外部リンク

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