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ムハンマド・アリ・アル・フーシ
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ムハンマド・アリ・アル=フーシ(アラビア語: محمد علي الحوثي、1979年 - )は[1] イエメンのフーシ派軍人。イエメンクーデターによってアブド・ラッボ・マンスール・ハーディー大統領を追放すると自ら最高革命委員会委員長(元首格)に就任し、2015年2月6日から2016年8月15日にかけて事実上の大統領を務めた。しかし追放された大統領のハーディーはこれを認めず、なお自らを正当な大統領と主張している。
2014年9月のサナアの戦い (2014年)を現地で指揮した[2]。
フーシの指導者であるアブドルマリク・フーシの従弟である[3][4]。
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任期中の出来事
2015年2月6日、ハーディー大統領を追放し、また最高革命委員会がイエメンを統治し、新たな議会を結成する事を宣言[3][5][4][6][7]。委員長フーシが事実上の大統領になった。
2月7日、国際連合・アメリカ・GCC(湾岸協力会議)は、フーシと最高革命委員会がイエメンを統治する事を拒否した[8]。
2月15日、国際連合安全保障理事会はフーシにイエメン統治をやめるよう勧告した。潘基文事務総長は、イエメンが失敗国家に転落しかけていると警告した[9]。
3月21日、フーシは最高革命委員会の会議で、ハーディー前大統領の任期は公的には2015年2月21日に終了したと述べた。 また、ハーディー前大統領を支持する外国政府を、「露骨な内政干渉」と批判した[10]。
3月25日、フーシがサウジアラビア空軍のサナア空爆で負傷したと、アルジャジーラ通信が伝えた[11]。
9月、フーシ派が支配する国営通信は、国際連合の潘基文事務総長に手紙を送り、サウジアラビア主導の同盟に停戦を命じるよう求め、同盟がイエメンに対して「戦争犯罪」と「虐殺」を行っていると非難した [12]。
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脚注
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