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メスディイェ級装甲艦

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メスディイェ級装甲艦
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メスディイェ級装甲艦 (Mesudiye class Ironclad, トルコ語: Mesudiye) はオスマン帝国海軍装甲艦 (装甲フリゲート, Zırhlı fırkateyn)の艦級である。

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概要

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本級の原型となったイギリス装甲艦「スルタン(Hms Sultan)」。

本級はオスマン帝国海軍が自国の沿岸防衛のためにイギリスのテムズ造船所に2隻を発注した装甲艦である。本級は同時期にイギリス海軍が発注した装甲艦「スルタン」の改良型として設計された。同造船所は本級の建造実績をもとに装甲艦「アレキサンドラ」を建造した。2番艦は当初は「メムドゥヒド(Memdouhied)」と命名されたが、建造途中に即位したアブデュルハミト2世に因み「ハミディエ(Hamidie)」と改名されたが、完成前に露土戦争が勃発したことによりイギリスに接収されて「シュパーブ(HMS Superb)」として就役したためにオスマン帝国が取得したのはメスディイェのみとなってしまった。

艦形と武装

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本級の原型となったイギリス装甲艦「スルタン(Hms Sultan)」の武装と装甲配置図。
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「スルタン(Hms Sultan)」の1861年型 Marks II 25.4cm(14.5口径)前装填単装砲。

本級の船体の基本形状は列強の装甲艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体上に、3本のマストの間に2本煙突が立つ当時の一般的な装甲艦の形態である。船体内部の砲郭(ケースメイト)には主砲のアームストロング社製「1861年型 Marks II 25.4cm(14.5口径)前装填単装砲を単装砲架で片舷6基ずつ計12基を配置していた。少ない門数で射界を広く取るために本級の舷側部は上部から見て八角形状となっており、壁面が斜めとなる箇所に砲門を開け、片舷6箇所の計12箇所の砲門が開けられた。主砲の旋回は砲架が床面に扇状に埋め込まれたレール上を移動することにより広い射界を得ており、敵対位置により自在に砲門を選べた。

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防御

本級の装甲は鉄製で、水線部に末端部に102~152mm、中央部に厚さ305mm装甲を貼った。八角柱型の砲郭部のうち平坦部は305mm、四隅の部分は254mm装甲が貼られた。機関区と弾薬庫を守るボックス・シタデルには254mmの装甲板を貼っていた。

同型艦

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近代化改装後の「メスディイェ」。

1873年にテムズ造船所にて起工、1874年進水、1875年竣工。1903年イタリアで近代化改装実施。第一次世界大戦中の1914年12月13日にダーダネルス海峡にてイギリス海軍B級潜水艦「B11」の雷撃を受け、魚雷1本の命中により撃沈。

  • Mahmudiye→ハミディエ(Hamidiye)

テムズ鉄工造船所で建造[1]。1873年起工[2]。1875年11月16日進水[2]。1876年2月、「Hamidiye」と改名[2]。1878年2月20日、イギリスに売却[2]。イギリス海軍の「シュパーブ(HMS Superb)」となる[2]

脚注

参考文献

関連項目

参考図書

外部リンク

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