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モーゼス・マローン
アメリカのバスケットボール選手 (1955 - 2015) ウィキペディアから
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モーゼス・ユージン・マローン (Moses Eugene Malone, 1955年3月23日 - 2015年9月13日) は、アメリカ合衆国・バージニア州ピーターズバーグ出身の元プロバスケットボール選手である。ABAおよびNBAで活躍した往年の名選手である。マローンの引退を最後に、ABAでプレーした経験を持つ選手は現役からいなくなった。愛称はリバウンドの強さから「Chairman of the Boards」と呼ばれ[2]、ABAとNBAで計9回のオフェンスリバウンドにおいてシーズンリーダーを誇る。
これまでに、NBA最優秀選手賞 (MVP) に3回、NBAオールスターに12回、オールNBAチームに8回選出されたセンターである。1983年にフィラデルフィア・76ersをNBAチャンピオンに導き、リーグとファイナルの両方でMVPを受賞した数少ない選手の1人であり、2001年にバスケットボール殿堂入りを果たした。マローンはNBA史上最も偉大な選手の1人として評されているにもかかわらず[3]、NBA史上最も過小評価されている選手の1人とも見なされている[3][4]。
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経歴
ABA時代
マローンは地元バージニア州のピーターズバーグ高校を率いて、2回の州チャンピオン、50連勝などの実績を残した。1974年に卒業するとABAのユタ・スターズに入団した。1990年代になり高校卒業後にプロ入りする選手は珍しくなくなったが(現在は高校卒業後1年は経過しないとドラフト指名することができない。)、マローンは何人かの一人だった[5]。以前にもジョー・グラボスキーなどが高卒でプロ入りした。ルーキーシーズンから平均18.8ポイントをあげ、ABAオールスターゲーム選出、ABAオールルーキー・ファーストチームに選出される。翌年はセントルイス・スピリッツでプレーをする。
NBAロケッツ時代
1976年にはABAの解体がありマローンはチームを転々とする。最初にABA選手ドラフトでポートランド・トレイルブレイザーズに引き抜かれるがバッファロー・ブレーブスにトレードされる。短い期間プレーした後、最終的にヒューストン・ロケッツに移籍した。マローンの入団で当時 弱小チームだったロケッツは強豪と肩を並べるようになった。1981年には彼の活躍でNBAファイナルまで進出した(相手はラリー・バードを擁したボストン・セルティックス)。ロケッツに所属する間に1979年と1982年の2回最優秀選手賞 (MVP)に輝いている。
NBAシクサーズ時代
翌シーズンからマローンはフィラデルフィア・セブンティシクサーズに移籍する。当時、"ドクターJ" ジュリアス・アービングを擁したシクサーズは打倒セルティックスに燃えており、東部地区では強豪に数えられる存在になっていた。今一歩のところで優勝を逃していたシクサーズは前年度MVPのマローンを切り札として獲得したのだった。マローンも期待通りの活躍をみせ、1982-83シーズンにシクサーズは優勝を果す。マローンはレギュラーシーズンのMVP、ファイナルのMVPの2冠を達成する。その後も2年連続でプレーオフに進出するが優勝は出来なかった。
その後
マローンは1986年にワシントン・ブレッツにトレードされる。ブレッツでも活躍をみせ、2シーズン連続でプレーオフ進出の原動力となった。
1989年から3シーズンはアトランタ・ホークス、1992年から2シーズンをミルウォーキー・バックス、1993年から1シーズンをシクサーズ、1994年から1シーズンをサンアントニオ・スパーズでそれぞれプレーをした。
1995年に引退したマローンは、1996年にNBA史上最も偉大な50選手に選出され、2001年に殿堂入りした。
2015年9月13日、60歳で死去。バージニア州のホテルで意識不明になっている所を発見され、その後死亡が確認された[6][7]。
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個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
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通算成績・受賞歴
通算成績
得点、リバウンド、アシストなどの成績は下記の通りである。ABA時代の数字も含む。[8]
主な受賞トピックス
- ABAオールルーキー1stチーム:1975
- オールスターゲーム出場:12回 (1975, 1978, 1979, 1980, 1981, 1982, 1983, 1985, 1986, 1987, 1988, 1989)
- NBA最優秀選手賞 (MVP):3回 (1979, 1982, 1983)
- NBAファイナル最優秀選手賞 (MVP):1回 (1983)
- NBAオール1stチーム:4回 (1979, 1982, 1983, 1985)
- NBAオール1stディフェンスチーム:1回 (1983)
- NBAオール2ndチーム:4回 (1980, 1981, 1984, 1987)
- NBAオール2ndディフェンスチーム:1回 (1979)
- NBAリバウンド王:5回 (1979-1444, 1981-1180, 1982-1188, 1983-1194, 1985-1031)
- NBAオフェンシブリバウンド歴代1位:6,731リバウンド
- NBAフリースロー得点歴代2位:8,531ポイント
- NBAベスト50選手:1996年
脚注
関連項目
外部リンク
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