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ユゼフ・メホフェル

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ユゼフ・メホフェル
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ユゼフ・メホフェル (Józef Mehoffer, 1869年3月19日 – 1946年7月8日) は、ポーランドの画家、装飾作家。ヤング・ポーランド英語版運動を牽引した作家であり、当時最も尊敬を集めたポーランド人画家の一人である。

概要 ユゼフ・メホフェル, 生誕 ...
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私生活

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“Dziwny ogród” ジヴヌィ・オグロート (: Strange Garden, 日: 奇妙な庭)1903年、ワルシャワ国立美術館
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聖ニコラ大聖堂のステンドグラス

1869年、メホフェルはポーランド南東部、ポトカルパチェ県ロプツィツェ英語版オーストリアをルーツに持つ家系に生まれた。彼の父ヴィルヘルム (Wilhelm) は国家裁判所の弁護士であった。

メホフェルはヤドヴィガ・ヤナコフスカ (Jadwiga Janakowska) と結婚し、息子ズビグニェフ (Zbigniew、1900年 – 1985年)をもうけた。1946年7月8日、ポーランド中南部、マウォポルスカ県ヴァドヴィツェにて結核のため亡くなり、クラクフラコヴィツキ墓地英語版に埋葬された。

彼の死後、その功績を偲んでクルプニツァ通りポーランド語版26番地に クラクフ・ユゼフ・メホフェル美術館ポーランド語版 [注釈 1] が設立された。

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作家活動

要約
視点

メホフェルはクラクフ美術学校にてウワディスワフ・ウシュチキェヴィチ英語版 (Władysław Łuszczkiewicz) に師事し、のちにウィーン美術アカデミー [注釈 2]パリアカデミー・コラロッシ [注釈 3] などで絵画を学んだ。その他にも、ステンドグラステキスタイル木炭画、銅版画リトグラフなど、その表現の幅を広げて活動。また、劇場の舞台設計、家具設計なども手掛けている。

また、彼の作家活動のうち重きを占めたのはグラフィックデザインである。アール・ヌーヴォー装飾職人として認められた彼は、本の装丁オーナメント (装飾品) 、ヴィネット (書籍の飾り挿絵) 、装飾文字、飾り、またポスターやロゴ、銀行券のデザインなども手掛けた。

絵画では肖像画を得意とし、自画像および歴史上の人物や衣装に重点を置いた人物画、そして舞踏に焦点を当てた9つの連作を描いた。

メホフェルは、ポーランドの作家協会である シュトゥカ英語版 (Sztuka) の創設者の一人でもある。カスペル・ポホファルスキポーランド語版エルヴィン・チェルヴェンカポーランド語版ズジスワフ・アイフレルポーランド語版ルドヴィク・コナジェフスキ英語版ヘンリク・ポリフトポーランド語版アダム・ブンシュポーランド語版ヤン・マルチン・シャンセル英語版らが彼の学徒であった。


また、メホフェルの作品はポーランド国内外の教会でも目にすることができる。スイスのフリブールに位置するゴシック様式聖ニコラ大聖堂ドイツ語版 [注釈 4] に収められたステンドグラス作品 (1895年 – 1936年制作) により、彼はその国際的評価を確固たるものとした。

以下は、その他のステンドグラス作品の一部である。

メホフェル作のステンドグラスを擁するトゥレク・イエス聖心教会ポーランド語版 [注釈 13] (ヴィエルコポルスカ県中東部) には、同じく彼の描いた壁画が収められている。


メホフェルはそのキャリアを通し、本の装丁、装飾やポスターの制作など多種多様な表現媒体の模索を続けた。また、その斬新な多様さに反して、中世美術を彷彿とさせる古典的なフレスコ画でも知られている。スタニスワフ・ヴィスピャンスキ (Stanisław Wyspiański)ヤン・マテイコ (Jan Matejko) とは多くの共同制作を行った。

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ギャラリー

代表作

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クラクフ・ラコヴィツキ墓地にあるユゼフ・メホフェルの墓
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トゥレク英語版にあるメホフェルの像
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主な受賞歴

関連項目

脚注・出典

外部リンク

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