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ヨゼフ・ケーニヒ

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ヨゼフ・バルタザール・ケーニヒドイツ語: Josef Baltasar König, 1874年9月24日[1][2]または1875年[3] - 1932年12月5日[3])は、プラハ出身の指揮者ヴァイオリン奏者。近衛秀麿とともに、新交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)の指揮者を務めた。

概要 ヨゼフ・ケーニヒ, 生誕 ...

出生から1926年まで

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新交響楽団常任指揮者として

近衛秀麿が設立した新交響楽団の指揮者として、1927年4月から1929年4月まで在任した。在任時は、近衛が定期公演の指揮、ケーニヒがラジオ放送の指揮を主に担当した。

在任期間中は、楽団員を徹底的に鍛え上げ、現在のNHK交響楽団へ通じる高い演奏水準まで引き上げるとともに、スメタナ交響詩モルダウ』やラヴェルの『スペイン狂詩曲』、ベートーヴェン交響曲第9番のプロ団体による日本初演を手がけた。

新交響楽団退任後

1929年5月、東京市芝区三田南寺町の自宅で派出婦に「たわむれた」ところ、ケーニヒの内妻である日本人女性がこれに嫉妬し、派出婦会長を面罵したため、憤慨した派出婦会長が会の名誉のためにケーニヒを告訴[5]。この事件が「不良外人跋扈」と新聞に大きく書き立てられ[6]、日本政府から強制退去処分を受け、同年6月30日に日本から出国。満洲国ハルビン交響楽団の指揮者となった[7]1932年にハルビンで亡くなり[3]、哈爾浜カトリック墓地に埋葬された[1][2]

脚注

参考文献

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