トップQs
タイムライン
チャット
視点

ラウル・メイレレス

ポルトガルのサッカー選手 ウィキペディアから

ラウル・メイレレス
Remove ads

ラウル・ジョゼ・トリンダーデ・メイレレスRaul José Trindade Meireles, ポルトガル語発音: [ʁɐˈuɫ mɐjˈɾɛl(ɨ)ʃ] Ra-Ul Mey-Re-Lesh; 1983年3月17日 - )は、ポルトガルポルト出身の元サッカー選手。元ポルトガル代表。ポジションはミッドフィールダー

概要 ラウル・メイレレス, 名前 ...
Remove ads

クラブ経歴

ポルトガルのCDアヴェスボアヴィスタFCを経て2004年FCポルトに移籍。ポルト加入後はチャンピオンズリーグ優勝メンバーであるマニシェコスチーニャの抜けた穴を埋める活躍を見せた。

2010年8月28日、4年契約でリヴァプールFCに移籍した[1]。移籍金は1400万ユーロ(約15億3000万円)。ロイ・ホジソン監督の下では適応に苦しんだものの、シーズン中盤からは本来の働きを取り戻し、1月~2月にかけて中盤ながら5得点を挙げた。ホジソンが解任されてケニー・ダルグリッシュ新監督就任後はチーム復調のキープレイヤーとなった。また、そのような活躍からファンの選ぶシーズンMVPにも選出された[2]

2011年8月31日に同胞のアンドレ・ビラス・ボアス率いるチェルシーFCへ4年契約での完全移籍が発表された。チェルシーではセンターハーフを主戦場とし、FAカップ制覇と初めての欧州制覇にも貢献した。

2012年9月3日トルコフェネルバフチェSKへ4年契約で移籍[3] 。すぐさま中心選手の一人となり、公式戦18試合に出場し2得点を挙げていた。しかし、12月17日ガラタサライ戦 (1-2)で後半37分にこの試合2枚目のイエローカードを受け退場処分を受けた。その際、審判をゲイ呼ばわりし、唾を吐いた失態が重罰とトルコサッカー連盟が判断し、11試合の出場停止処分が科された[4]2016年7月、契約満了により退団。以降フリーの状態が続いており、メイレレス本人からの発表はないものの引退したとされている。

Remove ads

代表経歴

UEFA EURO 2008の代表にも選出され、グループリーグ初戦のトルコ戦では代表初ゴールを決めた。南アフリカW杯のメンバーにも選ばれ、2010年6月1日の親善試合・カメルーン戦では自身初の2得点を記録。本大会グループリーグ第2戦の北朝鮮戦では先制点を挙げ、7-0で圧勝した。

人物

  • 父親は古巣ボアヴィスタFCの理学療法士[5]
  • ピッチを離れれば、シャイで無口な性格だが、ファッションなどにはこだわりがあり、髪型をモヒカンスタイルにしたり、胸部分を除く全身に大掛かりなタトゥーが入っている。2011年現在、通算50回以上も針を入れており、タトゥーを入れるのが趣味だと本人は語っている。なお妻もタトゥーマニアである[6]

個人成績

クラブ

さらに見る クラブ, シーズン ...
Remove ads

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 76試合 10得点(2006年-2014年)[7]
さらに見る ポルトガル代表, 国際Aマッチ ...

タイトル

クラブ

FCポルト
チェルシー
フェネルバフチェSK

代表

ポルトガル代表

個人

  • PFA ファン選出年間最優秀選手賞 2010-11

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads