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ラトランド公爵
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ラトランド公爵(英語: Duke of Rutland)は、イングランド貴族の公爵位。
前身のラトランド伯爵位は3回創設されている。ラトランド公爵位は第9代ラトランド伯爵(第3期)ジョン・マナーズが1703年に叙されたのに始まる。
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歴史
要約
視点
ラトランド伯爵
第1期
エドワード3世の四男である初代ヨーク公爵エドマンド・オブ・ラングリーの長男エドワード・オブ・ノリッジ (1373-1415) が1390年2月25日にラトランド伯爵に叙されたのが最初の創設である[1]。彼はさらに1402年に父から第2代ヨーク公爵位を継承したが、子孫のないままアジャンクールの戦いで戦死した[2]。
その後、ラトランド伯爵位は甥の第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット (1411-1460)(エドワード4世の父)へ継承されたと考えられている[3]。
第2期
1446年1月29日には第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの次男エドムンド (1443-1460)(エドワード4世の弟)によって2期目のラトランド伯爵位が創設されている[1]。彼は1459年に議会から一時私権剥奪処分を受けるも、1460年に爵位への復帰が認められた。しかし子孫なく父とともに戦死した[4]。
第3期
1525年6月18日に第12代ド・ルース男爵トマス・マナーズ(1488年頃-1543年)がヘンリー8世によってラトランド伯爵(Earl of Rutland)に叙されたのが、現在まで続く第3期のラトランド伯爵位の始まりである[5][6]。彼は第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの曾孫にあたる[6]。
議会招集令状による爵位であるド・ルース男爵位は男子なき場合の姉妹間に優劣のない女系継承が可能であり、3代ラトランド伯エドワード・マナーズ(1549-1587)が男子なく死去した際に娘に女系継承が行われ、ラトランド伯爵位と分離した。その娘の系統が絶えた後に6代ラトランド伯フランシス・マナーズ(1578-1632)に戻ったが、彼も男子を残さずに死去したので娘に女系継承が行われて以降再び分離している[6]。また1616年7月22日に6代伯はイングランド貴族爵位ハムレイクのロス男爵 (Baron Ros of Hamlake) に叙されているが、これは一代で廃絶した[6]。
ラトランド公爵

9代ラトランド伯爵ジョン・マナーズ(1638-1711) は、襲爵前の1679年3月6日に議会招集令状によるイングランド貴族爵位としてハッドンのマナーズ男爵 (Baron Manners of Haddon) に叙された。同年9月29日に第9代ラトランド伯爵位を継承し、ついで1703年3月29日にイングランド貴族爵位ラトランド公爵(Duke of Rutland)とグランビー侯爵(Marquess of Granby)に叙せられた[7][8]。
その孫である第3代公爵ジョン (1696-1779) は、ホイッグ党の政治家としてホイッグ党政権下で家政長官や主馬頭などの宮廷職を務めた[8]。
その孫である第4代公爵チャールズ (1754-1787) は、王璽尚書やアイルランド総督などを歴任した[9][8]。
その孫である第6代公爵チャールズ (1815-1888) は襲爵前に保守党の庶民院議員で保守党庶民院院内総務を務めていた[10]。
その弟である第7代公爵ジョン (1818-1906) も襲爵前には保守党の庶民院議員だった。彼はベンジャミン・ディズレーリらとともに「ヤング・イングランド」を結成し、党の主流派に背いた[11]。その後、保守党政権下で建設長官(1852, 1858-1859, 1866-1868) 、郵政長官 (1874-1880, 1885-1886) 、ランカスター公領大臣 (1886-1892) など閣僚職を歴任し、1896年6月17日には連合王国貴族爵位レスター州におけるビーヴァーのルース男爵 (Baron Roos of Belvoir, of Belvoir in the County of Leicester) 」に叙せられた[8]。
2019年現在の当主は、その玄孫にあたる第11代公爵デイヴィッド・マナーズ(1959-) である[12]。
邸宅はダービーシャーのハッドン・ホール、レスターシャーにあるビーヴァー城である[8]。現在は両方の建物が一般公開されている。
一族の家訓は「貴方の物を手に入れるために (Pour Y Parvenir) 」[8]。
- ハッドン・ホール
- ビーヴァー城
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現当主の保有爵位
現在の当主である第11代ラトランド公爵デイヴィッド・マナーズは以下の爵位を保有する[8]。
- 第11代ラトランド公爵 (11th Duke of Rutland)
- 第11代グランビー侯爵 (11th Marquess of Granby)
- (1703年3月20日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
- 第19代ラトランド伯爵 (19th Earl of Rutland)
- ハッドンの第11代マナーズ男爵 (11th Baron Manners of Haddon)
- レスター州におけるビーヴァーの第5代ルース男爵 (5th Baron Roos of Belvoir, of Belvoir in the County of Leicester)
- (1896年6月17日の勅許状による連合王国貴族爵位)
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歴代当主
ラトランド伯 第1期(1390年)
ラトランド伯 第2期(1446年)
ラトランド伯 第3期(1525年)
ラトランド公(1703年)
爵位継承順位
- グランビー侯(儀礼称号)チャールズ・ジョン・マナーズ(1999-) 現当主の長男。法定推定相続人
- ヒューゴ・ウィリアム・ジェイムズ・マナーズ卿 (2003-) 現当主の次男
- エドワード・ジョン・フランシス・マナーズ卿 (1965-) 現当主の弟(10代公に遡っての分流)
- アルフレッド・チャールズ・ニコラス・マナーズ (2013-) 現当主の甥(10代公に遡っての分流)
- ビージー・ピーター・マイケル・マナーズ (2013-) 現当主の甥(10代公に遡っての分流)
- リチャード・ジョン・ペベレル・マナーズ (1963-) 現当主の従兄弟(9代公に遡っての分流)
- ハリー・マナーズ 現当主の従兄弟甥(9代公に遡っての分流)
- ジョン・ラムリー・マナーズ=サットン (1914-) 3代公に遡っての分流
- ジョン・フレデリック・マナーズ=サットン (1955-) 3代公に遡っての分流
- 第6代マナーズ男爵ジョン・ヒュー・マナーズ (1956-) 3代公に遡っての分流
- ジョン・アレグザンダー・デイヴィッド・マナーズ閣下 (2011-) 3代公に遡っての分流
- エドワード・プレストン・マナーズ (1948-) 3代公に遡っての分流
- ルパート・フランシス・ヘンリー・マナーズ (1950-) 3代公に遡っての分流
- スティーブン・フランシス・マナーズ (1978-) 3代公に遡っての分流
- フィリップ・マナーズ (1979-) 3代公に遡っての分流
- トマス・ベンジャミン・キャベル・マナーズ (1954-) 3代公に遡っての分流
- ルパート・キャベル・マナーズ (1990-) 3代公に遡っての分流
- ヒュー・キャベル・マナーズ (1993-) 3代公に遡っての分流
- トマス・ジャスパー・マナーズ閣下 (1929-) 3代公に遡っての分流
- チャールズ・ヘンリー・マナーズ (1957-) 3代公に遡っての分流
- ジョゼフ・ピーター・マナーズ (1991-) 3代公に遡っての分流
- アーサー・ロジャー・マナーズ (1959-) 3代公に遡っての分流
- ヒューゴ・マナーズ (1989-) 3代公に遡っての分流
- ロバート・ヒュー・マナーズ (1962-) 3代公に遡っての分流
- アーチー・トマス・マナーズ (1993-) 3代公に遡っての分流
- オーランド・ダグラス・マナーズ (1995-) 3代公に遡っての分流
- ハンフリー・ウィルモット・マナーズ (1998-) 3代公に遡っての分流
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家系図
ラトランド公爵・ラトランド伯爵家系図
エドワード3世 (1312–1377) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代ヨーク公爵 エドマンド・オブ・ラングリー (1341–1402) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1390年ラトランド伯(第1期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代ヨーク公 初代ラトランド伯 エドワード・オブ・ノリッジ (1373–1415) | 3代ケンブリッジ伯 リチャード・オブ・コニスバラ (1375–1415) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1390年ラトランド伯(第1期) (回復 1425) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ヨーク公 2代ラトランド伯 リチャード・オブ・ヨーク (1411–1460) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1446年ラトランド伯(第2期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
アン・オブ・ヨーク (1439–1476) m.(2) トマス・セント・レジャー | エドワード4世 (1442–1483) | 初代ラトランド伯 エドムンド (1443–1460) | リチャード3世 (1452–1485) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
アン・セント・レジャー (1476–1526) m. 11代ド・ルース男爵 ジョージ・マナーズ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1525年ラトランド伯(第3期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代ラトランド伯 トマス・マナーズ (c.1492–1543) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代ラトランド伯 ヘンリー・マナーズ (c.1516–1563) | ジョン・マナーズ (1527–1611) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ラトランド伯 エドワード・マナーズ (1549–1587) | 4代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (c.1552–1588) | ジョージ・マナーズ (c.1572–1623) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
5代ラトランド伯 ロジャー・マナーズ (1576–1612) | 6代ラトランド伯 フランシス・マナーズ (1578–1632) | 7代ラトランド伯 ジョージ・マナーズ (1580–1641) | 8代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1604–1679) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1703年ラトランド公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代ラトランド公 9代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1638–1711) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代ラトランド公 10代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1676–1721) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ラトランド公 11代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1696–1779) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
グランビー侯(儀礼称号) ジョン・マナーズ (1721–1770) | ジョージ・マナーズ=サットン (1723–1783) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロス卿(儀礼称号) ジョン・マナーズ (1751–1760) | 4代ラトランド公 12代ラトランド伯 チャールズ・マナーズ (1754–1787) | チャールズ・マナーズ=サットン (1755–1828) (カンタベリー大主教) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
カンタベリー子爵 | マナーズ男爵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
5代ラトランド公 13代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1778–1857) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
グランビー侯(儀礼称号) ジョージ・マナーズ (1807) | グランビー侯(儀礼称号) ジョージ・マナーズ (1813–1814) | 6代ラトランド公 14代ラトランド伯 チャールズ・マナーズ (1815–1888) | 7代ラトランド公 15代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1818–1906) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
8代ラトランド公 16代ラトランド伯 ヘンリー・マナーズ (1852–1925) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
マナーズ卿(儀礼称号) ロバート・マナーズ (1885–1894) | 9代ラトランド公 17代ラトランド伯 ジョン・マナーズ (1886–1940) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
10代ラトランド公 18代ラトランド伯 チャールズ・マナーズ (1919–1999) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
11代ラトランド公 19代ラトランド伯 デイヴィッド・マナーズ (1959-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
グランビー侯(儀礼称号) チャールズ・マナーズ (1999-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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脚注
参考文献
外部リンク
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