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リーガ・エスパニョーラ2006-2007

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スペインのサッカー国内リーグであるリーガ・エスパニョーラの第76シーズンは、2006年8月27日から2007年6月17日に開催された。

セグンダ・ディビシオン2005-2006で1部リーグ昇格を決め、本季よりプリメーラ・ディビシオンに参戦するのは、レクレアティーボ・ウェルバジムナスティック・タラゴナレバンテUDの3チーム。

レアル・マドリードが4季ぶり30回目の優勝を達成した。このシーズンは、2位FCバルセロナ と勝点76で並んでいたが(※得失点差ではレアル・マドリードが26点なのに対し、FCバルセロナは45点で圧倒していた)、シーズン中の直接対決の成績により、レアル・マドリードの優勝が決まった [1]

チーム編成

前シーズンの結果で、強豪チームは、経済的に余裕を持ってチーム編成に当たることになった。一方、イタリアは、ユヴェントスFCが、八百長試合(カルチョ・スキャンダル)で、降格の処分を受けるなどし、スター選手は、スペインのチームへの機会を探すことになった [2]

FCバルセロナ

FCバルセロナは、前シーズンのリーグと欧州リーグでのダブル優勝をして、十分な優秀選手が揃っていた。ロナウジーニョエトーリオネル・メッシシャビ・エルナンデスカルレス・プジョルなどである。さらに、ユヴェントスFCから、ジャンルカ・ザンブロッタリリアン・テュラムが、また、チェルシーFCからエイドゥル・グジョンセンが加わり、前年に増して強化された [3]

レアル・マドリード

一方、レアル・マドリードは、スター選手のチームであったが、3年の間、思うような成績ではなかったことで、フロレンティノ・ペレス会長が辞任[4]。代わりに、ラモン・カルデロンが、僅少差で会長に選任された [5]。監督には、イタリア人のファビオ・カペッロが、採用された。彼は、96-97シーズン時にも監督をしており、優勝まで導いていたが、当時の会長と折り合いが悪く1年でACミランに移行していた。また、デフェンスを強化すべく、イタリア人選手ファビオ・カンナヴァーロ、ブラジル人選手エメルソン・フェレイラ・ダ・ローザ、マリ人マアマドゥ・ディアッラ(2006-11)、オランダ人選手ルート・ファン・ニステルローイ(2006-10)を加えた [6] [7]

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経過

リーグ戦の当初は、前期優勝者のFCバルセロナが、順調にリードするかのように見えた。しかし、カメルーン選手エトーが、半ばで半月板の怪我をし、4か月の休場 [8]。その後、他のチームの選手も怪我が続いた。

レアル・マドリード

レアル・マドリードは、ホームよりも出先で、良い成績を上げた。特に、レアル・マドリードの苦手な相手であったCAオサスナのホームで、ルート・ファン・ニステルローイが4ゴールを入れたのは、記念すべきゲームであった [9]。一方、ロナウド(2002-07)は、その頃、評判が良くない状態であったが、年齢、運動量の低下に加え、新選手の採用の為、出番が減っていた。それで、彼は、1月末に750万ユーロでACミランに移籍した [10]

同チームは、冬場には、2位から4位へ落ち、厳しい状況となった。そこで、アルゼンチンからフェルナンド・ガゴ(2007-12)、また、ブラジルからマルセロ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ・ジュニオル(2006-22)を、600万ユーロで移籍させた。また、フランス人で、アルゼンチンにいたゴンサロ・イグアイン(2007-13)が、シーズン半ばで投入された [11]

FCバルセロナ

エトーが負傷で欠場の間、ロナウジーニョとメッシが攻撃にあたっていた。また、防御もほぼ完ぺきで、15試合期間に1ゴールを失っただけであった[12][13]。GKビクトル・バルデスは、ペナルティを止めるスペシャリストであった[14]。ところが、エトーが回復しての会見の場で、ロナウジーニョとチーム経営陣に対して厳しい発言をしたことで、チームの中で賛否を分ける事態となった。これは、何とか、収拾がついたようであった [15] [16]

セビリア

このように強豪2チームが問題で難航している中、セビリアは、一時、リーグの首位を保ち、国王杯等でも、最終戦まで残った。最終的にリーグでは、3位に付けた[17]

終盤戦

3月になると、カンポノウにて、レアル・マドリードとFCバルセロナのクラシコ戦があった。これは、3対3の同点であったが、両雄の優勝への意欲を高めるものとなった[18] 。セビリアとの試合で、レアル・マドリードは、ファン・ニステルローイのゴールで勝ち点を決め、残りは、FCバルセロナとのせめぎ合いが残った。

最終週前には、両チームは、同ポイントであり、ゴール差では、FCバルセロナが、有利であった。それで、優勝決定は、最終日まで持ち越された。レアル・マドリードの試合は、マジョルカのホームで、勝てば良い状況であった。開始当初は、負けていたが、後に2ゴールで勝ちを決めた。また、FCバルセロナは、容易い対戦相手で、5対1であった [19]。最終的にレアル・マドリードが、上記のように、辛うじての優勝を決めた [20]

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順位

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レアル・マドリードとFCバルセロナとの直接対決の結果

2006年10月22日:レアル・マドリード 2 - 0 FCバルセロナ(エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
2007年3月10日:FCバルセロナ 3 - 3 レアル・マドリード(カンプ・ノウ)
トータルスコア:レアル・マドリード 5 - 3 FCバルセロナ

ピチーチ賞

最も多く得点を挙げた選手にはピチーチ賞が贈られる。

サモラ賞

平均失点数が最も低いゴールキーパーにはサモラ賞が贈られる。

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脚注

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