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ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ

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ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ
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ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオスペイン語: Luis Antonio Jaime de Borbón y Farnesio, de Baviera y d'Este, 1727年7月25日 - 1785年8月7日)は、スペインの王族。トレド大司教及び第13代チンチョン伯。

概要 ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ Luis Antonio Jaime de Borbón y Farnesio, 在位 ...
概要 ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ, 教区 ...
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概要

スペイン王フェリペ5世と王妃イサベル・デ・ファルネシオの三男としてマドリードで誕生した。幼い頃から聖職者として養育され、8歳で金羊毛騎士団員、トレド大司教、ローマのサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の枢機卿となった(1754年に職位を返上している)。枢機卿となった世界最年少年齢として、ギネス・ワールド・レコーズに記載されている[1]

1759年、異母兄フェルナンド6世が嫡子のないまま死ぬと、ルイスは還俗して王位に就くことを夢見た。彼は、同母兄カルロが当時ナポリシチリアの王位に、フィリッポパルマ公位に就いていたことから、スペインにいる王位継承者は自分だけだと主張したのである。このため、カルロス3世として即位した兄に疎まれた。カルロスは空位となったナポリとシチリアの王位を、自分の次男フェルナンドへ与えた。ルイスは兄によってマドリードの宮廷から遠く離され、国内で流刑同然の状態に置かれた。

1776年頃、アラゴン貴族の女性マリア・テレサ・デ・バリャブリガ貴賤結婚し、3子をもうけた(他に1子を死産)。

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アルカラ・デ・エナーレスの大司教館、トレドの枢機卿にしてスペインの王子ルイスの紋章

ルイスは芸術と文化の愛好者であり、ルイジ・ボッケリーニフランシスコ・デ・ゴヤの庇護者であった。

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脚注

参考文献

関連項目

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