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ルイス・デ・セルケイラ
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ルイス・デ・セルケイラ(Luis de Cerqueira、1552年 - 1614年2月20日)は、ポルトガル出身のイエズス会宣教師である[1][2]。
経歴・人物
ベージャ県のアルヴィートゥに生まれる[3][4]。14歳の頃にイエズス会に入会し[2]、後に大学にて神学博士を取得した[2]。1594年[注釈 1]にリスボン第5代日本補佐司教に叙せられた後に派遣され[2][5]、日本に向けて出航した[2][4]。しかし、当時日本では1587年に出された豊臣秀吉によるバテレン追放令により[2][3]、日本への入国が制限されていたため[2]、翌1595年一旦マカオに滞留した[2][4]。
その後来日に苦難を強いられたが[2]、1598年9月5日(慶長3年8月5日)に同じイエズス会宣教師だったイタリア出身のアレッサンドロ・ヴァリニャーノらと共にようやく長崎に上陸した[2][4]。来日後はヴァリニャーノらと共に日本人キリシタンの育成によるセミナリヨの開設や[1][2]、江戸幕府の将軍だった徳川家康に伏見で謁見し[1][2]、奴隷売買の禁止等[3]、禁教令の撤廃やキリスト教の布教に携わった。また家康とセルケイラは畿内を中心に本多忠純や板倉勝重、細川忠興等多くの諸大名に教会の保護に貢献した[5]。布教後も日本に滞在し、長崎で死去した[2][5]。
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主な著作物
ポルトガル語著
- 『サカラメンタ提要』
日本語著
- 『秘跡の祝いの宝鑑』
- 『良心の尊貴なることの手引』
脚注
外部リンク
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