トップQs
タイムライン
チャット
視点
レティーフ・グーセン
ウィキペディアから
Remove ads
レティーフ・グーセン(Retief Goosen, 1969年2月3日 - )は、南アフリカ・リンポポ州ポロクワネ(旧名ピーターズブルグ)出身のプロゴルファー。
Remove ads
経歴
2001年と2004年の2度、全米オープンで優勝した実力者である。これまでにヨーロッパツアーで14勝、アメリカPGAツアーで7勝を挙げる(メジャー大会である全米オープンの優勝は、アメリカ・ヨーロッパの両方のツアーで優勝回数をカウントされる)。同じ南アフリカ出身のアーニー・エルスとは若い頃からのライバルであり、親友でもある。世界ランキング自己最高位は3位。
グーセンはアマチュア選手時代に、練習中に雷に打たれて大怪我を負ったことがある。1990年にプロ入りした後も様々な不運に遭い、1994年と1997年の全米オープンで優勝したエルスに比べて、国際レベルに開花するのが遅かった。しかし2001年6月の全米オープンで初日からトップに立ち、その後も好調なラウンドを続ける。最終日の18番ホールで50センチの短いパーパットを外し、マーク・ブルックス(アメリカ)とのプレーオフになったが、それを制してメジャー大会初優勝を飾った(全米オープンのプレーオフは、最終ラウンドの終了後もう1日[18ホール]ラウンドするシステムになっている)。この優勝を機に、それまでヨーロッパツアーを中心に活躍してきたグーセンは、米国ツアーに戦いの場を広げることになった。
2001年11月、日本の太平洋ゴルフクラブ・御殿場コースで開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」に南アフリカ代表として出場、アーニー・エルスとコンビを組んで優勝した。この時はアメリカを含む4チームによるプレーオフを制している。2001年と2002年の2年連続で、グーセンはヨーロッパツアーの賞金王(賞金ランキング1位)になった。
2004年に全米オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たした時は、同年のマスターズ優勝者フィル・ミケルソンとの一騎討ちを制している。2005年の同大会で、前年優勝者のグーセンは3日目を終えて単独トップに立ち、大会連覇を目前にしていたが、最終日に81(11オーバー)をたたいて失速した。2009年3月の「トランジション選手権」において、アメリカツアーで4年ぶりの7勝目を獲得した。
日本のトーナメントに招待選手として出場したこともあり、初来日だった1997年の「ダンロップ・フェニックス選手権」では7位に入っている。2001年のワールドカップ以来の来日となった2004年の「サントリーオープンゴルフトーナメント」でも7位の成績を残した。
Remove ads
プロ優勝 (43)
要約
視点
PGAツアー (7)
|
ヨーロピアンツアー (14)
|
1アジアンツアーとの共催
サンシャインツアー (9)
アジアンツアー (4)
1ヨーロピアンツアー共催
その他 (13)
- 1997 Alfred Dunhill Cup (with アーニー・エルス and デビッド・フロスト)
- 1998 Alfred Dunhill Cup (with アーニー・エルス and デビッド・フロスト)
- 2000 ネルソン・マンデラ招待 (with アラン・ヘニング)
- 2001 WGCワールドカップ (with アーニー・エルス)
- 2003 Tiger Skins Game
- 2004 ネッドバンク・ゴルフチャレンジ
- 2005 Battle at the Bridges (with フィル・ミケルソン)
- 2006 ネルソン・マンデラ招待 (with ボビー・リンカーン), People vs. The Pros
- 2007 Tavistock Cup (representing Lake Nona)
- 2008 Riffa Views Invitational Skins Game, ゲーリー・プレーヤー招待 (with コスタンティノ・ロッカ, アラン・ピアソン and イネス・サストレ)
- 2009 Tavistock Cup (representing Lake Nona)
Remove ads
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- レティーフ・グーセン - ヨーロピアンツアー公式サイト
- レティーフ・グーセン - PGA Tour.com
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads