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レンツ (フリゲート)

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レンツ (フリゲート)
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レンツ (USS Rentz, FFG-46) は、アメリカ海軍のミサイルフリゲートオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートの36番艦。艦名はバタビア沖海戦で失われた重巡洋艦ヒューストン (USS Houston, CA-30) に乗艦し、英雄的な活動で死後に海軍十字章を受章したジョージ・S・レンツ(en)従軍牧師(en)(1882 - 1942)に因む。

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艦歴

レンツはカリフォルニア州サンペドロトッド・パシフィック造船所で1982年9月18日に起工する。1983年7月16日に進水し、1984年6月30日にロングビーチ海軍造船所にてマーティン・ジュールス・メイヤー中佐指揮下で就役した[1]。就役式にはレンツ牧師の娘と、ヒューストンの元乗組員も臨席した。

1985年12月にカリフォルニア州ロングビーチからサンディエゴに移動。慣熟航海などに引き続き、空母レンジャーの空母群に配属される。空母群の一員として、カリフォルニア州サン・クレメンテ島英語版沖の南カリフォルニア作戦域を定期的に巡航した。

1986年11月5日、ミサイル巡洋艦リーヴス、駆逐艦オルデンドルフと共に、レンツは中国山東省青島市を訪問。1949年に駆逐艦母艦ディキシーが中国本土から退去させられて以来、37年ぶりのアメリカ艦船の訪中であった。訪問は人民解放軍海軍に公式に歓迎された[2]

1987年7月にアーネスト・ウィル作戦に参加しペルシャ湾に展開。主な任務はホルムズ海峡を通過する商船の護衛だった。1987年以来、レンツは何度もペルシャ湾で作戦に従事した。

2009年11月28日、ニミッツ空母打撃群の一員としてアラブ首長国連邦ジュベル・アリ沖に停泊していた際、乗組員デイヴィッド・M・マッジ(David M. Mudge)三等兵曹が予備機関部で修理中に感電死した[3][4]。海軍はこの悲劇を受け、全艦隊に船の電気エンクロージャの検査をするよう通告した[5]

2013年12月、レンツは小型の麻薬密輸船を発見。船からは1040万ドル相当のコカイン約313kgが見つかった。レンツはその携わった麻薬取締任務で合計およそ3000kgのコカインを没収した[6]

2014年5月23日に退役。

バリアント・シールド2016演習にて、JSOW(Joint Standoff Weapon) C-1滑空誘導爆弾等の実艦標的に使用され、撃沈。

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脚注

関連項目

外部リンク

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