トップQs
タイムライン
チャット
視点
ロッド・ペリー
ウィキペディアから
Remove ads
ロッド・ペリー(Rod Perry 1953年9月11日- )はカリフォルニア州フレズノ出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはコーナーバック。
Remove ads
経歴
要約
視点
選手時代
フレズノシティカレッジからコロラド大学に編入、最終学年にビッグ・エイト・カンファレンスのオールチーム及びオールアメリカンに選ばれた[1]。
1975年のNFLドラフト4巡でロサンゼルス・ラムズに指名された。1978年、1980年にプロボウルに選出された。
1979年シーズン、チームは第14回スーパーボウルに進出、彼も先発出場している[1]。この試合で彼は第4Q、ラムズが19-17でリードし、ピッツバーグ・スティーラーズの第3ダウン8ヤード、敵陣27ヤードからのプレーで、ストロングセイフティがアウトサイドのレシーバーをマークしたことから、身長では5インチ高いジョン・ストールワースと1対1になり、自陣34ヤード地点でのレシーブを許し、そのまま34ヤードを走られ、73ヤードの逆転TDレシーブを許した[2]。さらに自陣22ヤードまで攻め込まれた後、パスインターフェアランスの反則で21ヤードの罰退となり、続くプレーでフランコ・ハリスに1ヤードのTDランを許し、チームは19-31で敗れた[3]。
ラムズでは1982年までプレーし、28インターセプトをあげた。彼はラムズの40周年記念チームに選ばれている[4]。
1983年、1984年はクリーブランド・ブラウンズでプレーし、2インターセプトをあげた[4]。
コーチ時代
現役引退後、1985年にコロンビア大学のコーチに就任、1986年には母校のフレズノシティカレッジのコーチとなった。1987年、1988年はフレズノ州立大学のコーチを務めた[1]。
シアトル・シーホークス(1989年-1991年)でNFLコーチのキャリアをスタート、ロサンゼルス・ラムズ(1992年-1994年)、ヒューストン・オイラーズ(1995年-1996年)、サンディエゴ・チャージャーズ(1997年-2001年)、カロライナ・パンサーズ(2002年-2006年)、インディアナポリス・コルツ(2007年から2011年)でセカンダリーコーチ、ディフェンシブバックコーチなどを務めた[1]。
オイラーズのコーチ時代の1995年にはダリル・ルイス、ブレイン・ビショップがプロボウルに選ばれた。チャージャーズのコーチ時代の1998年、トータルディフェンスで1位、ロドニー・ハリソンがプロボウルに選ばれた。2001年にはハリソンとライアン・マクニールがプロボウルに選ばれた[4]。
パンサーズのコーチに加入して最初の2シーズン、チームのコーナーバックはNFL全チーム中唯一2人ともドラフト外入団選手であったがパスディフェンスで2シーズンとも10位以内に入った。2004年にチームはフランチャイズ記録となる26インターセプトをあげた。また2006年にはパスディフェンスでNFC2位、NFL4位の成績を残した。パンサーズに在籍した5シーズン、チームはリーグトップの96インターセプトをあげた[4]。
コルツのコーチ時代は2007年にチームはトータルディフェンスで1971年以来最高の3位[4]、彼の指導を受けたボブ・サンダースがAP通信から最優秀守備選手に選ばれた[1]。2008年、コルツのパスディフェンスはスターターで全16試合出場したのはアントワン・ベゼアだけで、故障のためマーリン・ジャクソンが7試合、ボブ・サンダースが6試合、ケルビン・ヘイデンが10試合の出場にとどまり、ティム・ジェニングスが12試合、メルビン・ブリットが9試合で先発したが、トータルディフェンスでリーグ11位、パスディフェンスではリーグ6位、さらにNFL記録となる6TDパスしか許さなかった(それまでの記録は1978年のデンバー・ブロンコス、1980年のピッツバーグ・スティーラーズがマークした9TD)[4]。
Remove ads
家族
息子のロドニー・ペリーは、2001年のMLBドラフト12巡でフィラデルフィア・フィリーズに指名された[1][5]。
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads