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ロバート・ウィン=キャリントン (初代リンカンシャー侯爵)
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初代リンカンシャー侯爵チャールズ・ロバート・ウィン=キャリントン(英: Charles Robert Wynn-Carrington, 1st Marquess of Lincolnshire, KG, GCMG, PC, DL, JP、1843年5月16日 - 1928年6月13日)は、イギリスの貴族、政治家(自由党所属)。
1868年に「キャリントン男爵」を相続し、1895年に「キャリントン伯爵」へ、1912年に「リンカンシャー侯爵」へそれぞれ叙された。
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経歴
要約
視点
ロンドンのホワイトホールで、第2代キャリントン男爵ロバート・キャリントンの長男として生まれた[2][3][4][5]。母親のシャーロッテ・オーグスタ・ドラモンド=ウィラビーは第22代ウィラビー・ドゥ・アーズビー男爵ピーター・ドラモンド=バレルの娘で、キャリントンの二人目の妻であった[2][3][4][5]。なお出生時の姓は「Carrington」であったが、勅許を得て1880年に「Carington」へ、さらに1896年に「Wynn-Carrington」へ改めている[2][3][4][5]。
イートン・カレッジを経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、1864年に学士号(B.A.)を取得[6]。1879年に母親が死去したため、世襲職である式部卿(Lord Great Chamberlain; 式部長官)[訳語疑問点]の一人となる[2][3][5][註 1]。
1865年から襲爵により貴族院へ移る1868年までバッキンガムシャー州ハイ・ウィカム選挙区選出の自由党所属庶民院議員[7]。 ウィリアム・グラッドストンの下で1881年から1885年まで近衛兵のジェントルマン・アット・アームス隊長を務め[2][3][4][5]、また1881年には枢密顧問官に列せられた[8]。
1885年にニューサウスウェールズ植民地総督に任命され[9]、1890年までシドニーへ赴任[4]。帰国後、グラッドストンと第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズの下で1892年から1895年まで王室侍従長(Lord Chamberlain; 宮内長官)[訳語疑問点]を務めた[10]。1895年に「カウンティ・オヴ・バッキンガムにおけるチェッピング・ウィカムのウェンドーヴァー子爵(Viscount Wendover, of Chepping Wycombe in the County of Buckingham)」および「キャリントン伯爵(Earl Carrington)」に叙された[11]。
1905年に自由党が政権を奪還すると、サー・ヘンリー・キャンベル=バナマンやハーバート・ヘンリー・アスキスの下で1905年から1911年まで農漁庁長官(President of the Board of Agriculture)[訳語疑問点]として[12]、1911年から1912年まで王璽尚書[13]として入閣した。この間1906年にガーター勲章を授けられ[2][3][4][5]、1912年の退任後に「リンカンシャー侯爵(Marquess of Lincolnshire)」に叙された[14]。
1928年6月13日にバッキンガムシャー州ハイ・ウィカムのドウズ・ヒル・ハウスで死去[2]。唯一の男子であったウェンドーヴァー子爵チャールズ・ロバート・ウィン=キャリントンが第一次世界大戦で戦死[15]していたため、キャリントン伯爵位とリンカンシャー侯爵位は断絶し、キャリントン男爵位のみが弟のルパート・キャリントンによって相続された[2][3]。
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栄典

爵位
勲章
名誉職その他
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家族
第5代サフィールド男爵チャールズ・ハーボードの娘であるセシリア・マーガレット・ハーボードと1878年7月15日にロンドン・ホワイトホールのチャペル・ロイヤルで結婚した[2][4][5]。彼女との間に以下の一男五女をもうけた[2][3]。
- レディ・マージョリー・セシリア・ウィン=キャリントン (1880年 - 1968年) - 第2代ナンバーンホルム男爵チャールズ・ウィルソン夫人
- レディ・アレグザンドラ・オーガスタ・ウィン=キャリントン (1881年 - 1955年) - William Llewellyn Palmer夫人
- レディ・ルパータ・ウィン=キャリントン (1883年 - 1963年) - 第7代ダートマス伯爵ウィリアム・レッゲ夫人
- レディ・ジュディス・シドニー・ミー・ウィン=キャリントン (1889年 - 1928年) - 第9代アルベマール伯爵ウォルター・ケッペル夫人
- レディ・ヴィクトリア・アレグザンドラ・ウィン=キャリントン (1892年 - 1966年) - 寝室付女官。Nigel Walter Legge-Bourke夫人、後エドリック・アルフレッド・セシル・ウェルド=フォレスター夫人
- ウェンドーヴァー子爵アルバート・エドワード・サミュエル・チャールズ・ロバート・ウィン=キャリントン (1895年 - 1915年)
註釈
- 式部卿を世襲する人物は複数人いるが、儀式において実際に活動するのは一名である。リンカンシャーは1910年から1928年まで式部卿職を務めた。
出典
外部リンク
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