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ヴィアチェスラフ・マラフェエフ
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ヴィアチェスラフ・アレクサンドロヴィチ・マラフェエフ(ロシア語: Вячеслав Александрович Малафеев, ラテン文字転写: Vyacheslav Aleksandrovich Malafeev, 1979年3月4日 - )は、ロシア・サンクトペテルブルク出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。
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来歴
クラブ
9歳の時、スメナ=ゼニト・サッカースクールでサッカーを始める。1997年、FCゼニト・サンクトペテルブルクのリザーブチームに加入。1999年、当時正ゴールキーパーだったロマン・ベレゾフスキーの出場停止でチャンスをつかむと、2001年から正守護神になる。
その後はカミル・チョントファルスキーと併用された時期もあったが、正守護神として、2012-13シーズンまでゼニトのゴールを守り続けた。2013-14シーズンはユーリー・ロディーギンに定位置を譲るようになっている。
2015-16シーズン最終節のFCロコモティフ・モスクワ戦後、現役を引退することを表明した[1]。
代表

2003年11月19日、UEFA EURO 2004のプレーオフ 2ndレグ、ウェールズ戦で代表デビュー。この重要な試合を無失点で乗り切り、本大会出場に貢献した。2004年3月には手首を2か所を折る重傷を負ったが、無事に間に合い、本大会では、セルゲイ・オフチニコフの控えを務めた。オフチニコフが、グループリーグ第2節のポルトガル戦で退場し、後半2分からプレー。第3節のギリシャ戦ではスタメンとしてプレーした。
その後は、定位置を確保した時期もあったが、2004年10月13日に行われた2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・ポルトガル戦 (1-7)で、7失点を喫したキーパーはこのマラフェエフであった。2005年頃からイゴール・アキンフェエフにポジションを奪われ、控えに甘んじるようになった。UEFA EURO 2008でもエントリーメンバーに入ったが、出場はなかった。2009年、元ゼニト監督ディック・アドフォカートの就任、アキンフェエフの怪我を機にチャンスが巡り、正GKの座を奪い返した。
2012年8月、家族との時間を優先するため、代表引退を表明した。
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人物
- 兄はヴィアチェスラフと同じゼニトにも在籍したこともあるDFセルゲイ・マラフェエフ(Sergei MALAFEEV、1975年3月19日 - )。
- 既婚者であり、2人の子供がいる。妻は2011年3月17日早朝、交通事故により37歳で死去した。
- 2009年までポジション争いをしていたカミル・チョントファルスキーと公私ともに仲がよく家族ぐるみの付き合いをしている。
- 英語は、ほぼ問題なく会話ができる。
- 背番号は16番を好んでいる(しかし、UEFA EURO 2004では背番号は12番)。
- 2011年12月、ESPNSTAR.comが発表した『2011年度世界のゴールキーパートップ5』の一人に選ばれた[2]。
獲得タイトル
- FCゼニト・サンクトペテルブルク
- ロシア・カップ:2回 (1999, 2010)
- ロシア・プレミアリーグカップ:1回 (2003)
- ロシアサッカー・プレミアリーグ: 4回 (2007, 2010, 2011-12, 2014-15)
- ロシア・スーパーカップ:2回 (2008, 2011)
- UEFAカップ:1回 (2008)
- UEFAスーパーカップ:1回 (2008)
個人成績
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脚注
外部リンク
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