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ウィルフリード・サヌ
ブルキナファソのサッカー選手 ウィキペディアから
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ウィルフリード・サヌ(Wilfried Sanou, 1984年3月16日 - )は、ブルキナファソ・ボボ・ディウラッソ出身、ブルキナファソ代表のサッカー選手。ポジションは主にサイドミッドフィルダー。サイドバックやトップ下でもプレーできるポリバレントな選手[1]。
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来歴
ブルキナファソの首都ワガドゥグーで生まれ、地元のサッカーアカデミー「プラネート・シャンピオン・アンテルナシオナル (Planète Champion International)」でサッカーを始める[1]。
2001年夏に当時オーストリア2部のWSGスワロフスキー・ヴァッテンズへ移籍。半年後にはオーストリア・ブンデスリーガに所属するFCチロル・インスブルックへ移籍し、5試合に出場、オーストリア・ブンデスリーガでの優勝を経験する。
その後スイス・スーパーリーグのFCシオンを経て、2003年6月にドイツ・ブンデスリーガに所属するSCフライブルクへ移籍。計5年間在籍した後、2008年7月に1.FCケルンへ移籍した。元々はフォワードであったが、徐々に様々な中盤のポジションでプレーをするようになり、ドイツでは攻撃的ミッドフィールダー、サイドハーフなどが主戦場になる。フライブルク時代には当時の監督であったフォルカー・フィンケによってサイドバックにコンバートされた。ケルンでは主に中盤でプレーしたほか、サイドバックやフォワードでも起用された。
2010年から、フィンケが監督を務めるJリーグ・浦和レッドダイヤモンズへ期限付き移籍[2]。浦和加入以前のスポーツ紙などでは「サヌー」と表記されていた[3]が、登録名に倣い表記も「サヌ」に改められた。
浦和でのデビュー戦は2010年4月10日のJリーグ第6節アルビレックス新潟戦。この日サヌはベンチスタートだったが、前半16分に負傷した宇賀神友弥に替わり急遽左サイドバックとして途中出場し、阿部勇樹の先制点をアシストした。サヌの起用についてフィンケは、「彼はまだ一度もあのポジションでプレーしたことがありませんでした[4]。」とのコメントを残している。だが、故障が多く度々離脱していたのに加え、不慣れなポジションでの起用で本来の実力を発揮できる場面は少なかった。終盤戦は負傷者が増えたこともあり、ようやく得意としているFWや前目のサイドハーフで起用される試合が多くなったが、2010年12月6日、契約延長や完全移籍には至らず、2010年シーズン終了後に本来の所属先である1.FCケルンに復帰することが発表された[5]。
ブルキナファソ代表としては、2003年に行われたFIFAワールドユース選手権に出場。その後は同国A代表に招集されている。
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所属クラブ
- ?年 - 2001年
プラネート・シャンピオン・アンテルナシオナル
- 2001年8月 - 2002年12月
WSGスワロフスキー・ヴァッテンズ
- 2002年1月 - 2002年6月
FCチロル・インスブルック (レンタル移籍)
- 2002年1月 - 2002年6月
- 2002年 - 2003年
FCシオン
- 2003年 - 2008年
SCフライブルク
- 2008年 - 2011年5月
1.FCケルン
- 2010年
浦和レッドダイヤモンズ (レンタル移籍)
- 2010年
- 2012年4月 - 2013年
京都サンガF.C.
個人成績
その他の公式戦
- 2012年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 29試合 5得点(2001年-2013年)[10]
獲得タイトル
FCヴァッカー・インスブルック
- オーストリア・ブンデスリーガ 優勝 (2001-2002)
U-17ブルキナファソ代表
ブルキナファソ代表
脚注
関連項目
外部リンク
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