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万松行秀
中国曹洞宗の禅師 ウィキペディアから
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万松 行秀(ばんしょう ぎょうしゅう)は、中国・元代の曹洞宗の禅僧。『従容録』の著者として知られる。
略歴
金の大定6年(1166年)、懐州(河南省)河内県解梁の蔡氏に生まれる。邢州浄土寺の贇允に就いて得度し、中都・慶寿寺の勝黙円光[1]、次いで磁州・大明寺の雪巌善満[1]に歴参。善満の法を嗣ぎ、浄土寺に戻って万松軒に住む。紹熙4年(1193年)、わずか27歳の時に金の章宗に招かれて法を説き、中都・仰山棲隠寺、応天府・報恩洪済寺を歴住。嘉定16年(1223年)に、境内の従容菴にて耶律楚材の依頼で『従容録』を著す。元の太宗2年(1230年)に中都・万寿寺に住職、すぐに従容菴に隠居。 元・定宗元年閏4月7日(1246年)に遷化。
万松老人塔と磚塔胡同

→「万松老人塔(中国語版)」も参照
没後、耶律楚材などの弟子達によって7層(2025年現在は9層)の墓塔が建てられた。墓塔を基点とする胡同(路地)は、「磚塔胡同」(中国語版)として、北京市内で最も古い胡同の1つとして知られている[2]。
2013年3月5日には、万松老人塔が全国重点文物保護単位(国指定重要文化財)に指定された。
著作等
- 『従容録』
- 『請益録』
参考文献
脚注
外部リンク
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