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万里小路充房
安土桃山時代から江戸時代前期の公卿。従二位・権大納言。万里小路家13代。子に徳翁(誓願寺住持。閑智。母は高橋清景(内膳司)の娘) ウィキペディアから
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万里小路 充房(までのこうじ あつふさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿。官位は従二位・権大納言[2]。万里小路家13代当主。
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経歴
永禄5年(1562年)6月24日、勧修寺晴右の三男として誕生[3][2]。母は粟屋元隆の娘・元子。
天正17年(1589年)1月6日、参議に叙任[3]。慶長10年(1605年)、出家して等利[2](または桂哲)を号す。
元和5年(1619年)9月18日、後水尾天皇の典侍・四辻与津子が身籠り女宮を産んだことから宮中の風紀の乱れが問題となり(およつ御寮人事件)、その責任を取らされるかたちで丹波国篠山に流罪となった。
系譜
脚注
参考文献
外部リンク
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