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三宅安兵衛

幕末・明治時代の商人 ウィキペディアから

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三宅 安兵衛(みやけ やすべえ、天保13年1月11日1842年2月20日) - 大正9年(1920年12月1日)は、幕末明治時代の商人慈善家。初名は安治郎。晩年、京都のために資産を使えと言い残し、長男・三宅清治郎がその遺志に基づいて京都府内におよそ400基の史跡名所の案内碑を建立したことで知られる。

人物

天保13年(1842年)、若狭国小浜に、三宅清治郎、つやの子として生まれる[1]嘉永5年(1852年)、京都五条の木綿商・井筒屋に奉公[1][2]慶応3年(1867年)、井筒屋から独立。博多織の京都での取り扱いを独占して成功した[1]

晩年は隠居し、還暦後は京都周辺の名所旧跡を遊覧することを楽しみとした[3][4]。 大正8年(1919年)、長男の清治郎(安兵衛の父と同名)に、この金を京都のため公利公益のことに使用せよと遺言して金1万円を託し、翌大正9年(1920年)、12月1日、老衰のため没した[5][6]

安兵衛の死後、長男の清治郎は、父が生前、石清水八幡宮等に参詣人のための標石を建てていたことを踏まえ、その遺志に基づき京都の名所旧跡に標石を設置した[7]。 この標石は「稟京都三宅安兵衛遺志建之」の文字が刻まれたもので、京都市内から、八幡市宇治市田辺町精華町井手町山城町加茂町にかけて[8]昭和5年(1930年)まで、400余基が建碑された[6]

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参考文献

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