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三門忠司
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三門 忠司(みかど ちゅうじ、1944年10月9日[1] - )は、日本の演歌歌手。本名は状家 忠次(じょうや ただつぐ)[2]。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント。
来歴
1944年、大阪岸和田にて誕生[3]。父・忠治は身重の母・ヤスエを残して出兵していた[4]。父は駐屯先で母に会い「男の子なら忠次、女の子なら治子」と命名、これが夫婦最後の会話となった[3]。三門の誕生から2ヶ月後に父の戦死の知らせが届く[3]。
祭りがさかんな地域に育ち、歌の得意な三門は子供ながらにやぐら舞台のスターとなった[5]。中学卒業後は製鉄会社に就職[6]。歌手に憧れていたものの、病弱な母を抱えて、到底歌手を目指せる境遇ではなかった[6]。
何度となく上京を計画したが、母に後ろ髪を引かれ断念[7]。23歳で結婚し1男をもうけた[8]。しかし、三門が26歳のとき母が癌で死去[8]。
1979年、『第1回CBS・ソニーオーディション』に合格[9]。翌1980年、35歳にして「流れて大阪」で歌手デビュー[9]。勤続年数20年の遅咲き[10]、後年人気を博す福田こうへい・成世昌平といった「脱サラ演歌歌手」の走りであった。
1984年には「片恋酒」が25万枚のヒット[注釈 1][2]。同曲で『第17回全日本有線放送大賞・優秀新人賞』を受賞[2]。1991年、「雨の大阪」が30万枚を超えるヒットとなり『第25回全日本有線放送大賞・特別賞』を受賞[2]。2024年現在に至るまで地元を拠点に活動しており[11]、大阪ではトップクラスの演歌歌手である[12]。
2001年、テイチクエンタテインメントへ移籍。同年8月に移籍第1弾シングル「大阪かたぎ」をリリース。2011年、大阪・新歌舞伎座にて30周年記念コンサートを開催[2]。
2015年、「人生一勝二敗」が『2014年度藤田まさと賞』を受賞[13]。
2017年、出身地・岸和田の観光大使に就任[14]。
楽曲はいわゆるド演歌で、かつての宮史郎を彷彿させる声質と[15]渋い節回しが特徴である[16]。
過去に肺がんを患ったことがある[17]。健康法は四股を踏んで股関節を伸ばすこと[11]。2024年に田畑の多い地域に移住した[11]。
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ディスコグラフィ
シングル
デュエット・シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
カバー・アルバム
ベスト・アルバム
映像作品
ミュージック・ビデオ
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出演
テレビ
脚注
参考文献
外部リンク
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