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上田蚕糸専門学校 (旧制)
日本の旧制専門学校 ウィキペディアから
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上田蚕糸専門学校 (うえださんしせんもんがっこう) は、1910年 (明治43年)に設立された旧制専門学校。
概要
沿革
前史
上田蚕糸専門学校時代
- 1910年3月26日: 勅令第66号文部省直轄諸学校官制改正により上田蚕糸専門学校設置。
- 1910年12月: 学則公布。
- 本科 (修業年限3年) に養蚕科・製糸科を設置。
- 1911年4月: 17日、始業式。18日、第1回入学宣誓式。
- 19日から10日間、農場 (桑園) 開墾作業。
- 1911年6月: 校歌制定 『御国の為にますらをが』 (上田萬年 作詞、東京音楽学校 作曲)。
- 1913年10月15日: 開校式挙行[1]。
- 1914年2月: 火災で養蚕教室焼失。
- 1914年3月: 第1回卒業。
- 1915年1月: 寄宿舎竣工 (1920年、「修己寮」 と命名)。同窓会発足。
- 原則として全寮制となった。
- 1918年2月: 校長排斥・学校民主化を求める同盟休校。
- 養蚕科教授の転任問題が発端。教授・同窓生の説得で沈静化。
- 1919年5月: 本科に絹糸紡績科を増設 (製糸科から独立)。
- 1919年7月:皇太子(後の昭和天皇)が学校を訪問。ヒマラヤスギを植樹。
- 1931年5月: 製糸教婦養成科を設置 (2年制、高等女学校卒業者対象)。
- 1932年8月: 菅平高原に庇宇亭 (ヒュッテ) 建設。
- 1934年4月: 絹糸紡績科を絹紡織科と改称。
- 1935年10月: 同窓会 「千曲会館」 竣工。
- 1937年12月: 校友会歌制定 『大いなるかな浅間山』 (加子三郎 作詞、橋本國彦 作曲)。
- 1940年: 本科に繊維化学科を増設。
- 1940年8月: 同窓会 「千曲会」 が社団法人化。
- 1941年12月: 戦時措置による最初の繰上卒業。
- 1942年12月: 製糸教婦養成科を製糸教婦科と改称。
上田繊維専門学校時代
- 1944年4月: 上田繊維専門学校と改称。
- 設置学科を改組。養蚕科 + 製糸科 → 蚕糸科、絹紡織科 → 紡織科、繊維化学科 (そのまま)、繊維農業科 (新設)。
- 1945年6月: 米沢工専旧紡織科の機器を搬入。
- 1945年12月: 専修科を設置 (蚕糸科・紡織科、1947年2月廃止)。
- 1946年4月: 蚕糸科を分科、養蚕科・製糸科が復活。
- 1947年2月: 大学昇格期成同盟会発足。
- 単独での大学昇格を目指した。
- 1947年6月: 大学昇格運動で三繊専 (東京、京都、上田) が協同。
- 1947年10月12日:昭和天皇の戦後巡幸があり、学校を視察(1919年に続き2回目)[2]。
- 1948年4月: 長野県高専校長会議で、信州大学・上田繊維大学並立案。
- 1949年5月: 衆議院文教委員会で単独昇格否決。
- 1949年5月31日: 新制信州大学発足。
- 旧制上田繊専は信州大学繊維学部 (養蚕学科・製糸学科・紡織学科・繊維化学科) の母体として包括された。
- 1949年10月: 繊維学部本館竣工。
- 旧繊専本館は1962年1月に焼失。
- 1951年3月: 旧制上田繊維専門学校、廃止。
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歴代校長
著名な出身者
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校地
創立から廃止まで、長野県小県郡上田町常入 (現・上田市常田3丁目) の校地を使用した。同校地は後身の信州大学繊維学部に引き継がれた (現・常田キャンパス)。旧上田繊維専門学校の講堂は登録有形文化財として保存され、信州大学繊維学部の卒業式、修了式のほか各種催しの会場として今でも使用される。NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』では陸軍大学校の講義室として使われた。
脚注
関連書籍
関連項目
外部リンク
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