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下川義忠
大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから
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下川 義忠(しもかわ よしただ、1886年(明治19年)4月2日[1] - 1944年(昭和19年)4月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1886年(明治19年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期卒業[2]。1936年(昭和11年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に台湾軍司令部附となり[3]、台南高等工業学校に配属された[3]。1938年(昭和13年)9月に歩兵第47連隊補充隊長に転じ[3]、1939年(昭和14年)9月に歩兵第101連隊長(第11軍・第101師団・歩兵第101旅団)に就任して日中戦争に出動[1][2][3]。贛湘作戦などで戦果を挙げ[2]、1940年(昭和15年)2月24日に堺連隊区司令官に転じ[3]、8月1日に陸軍少将に進級した[3]。
1942年(昭和17年)4月1日に大阪連隊区司令官に就任[1]。同年12月1日に第4師団兵務部長に転じ[1]、1943年(昭和18年)9月に留守第4師団兵務部長となった[1]。1944年(昭和19年)2月10日に第10野戦補充隊長として中国戦線に復帰したが[1]、応城で勤務中の4月19日に死去[2][3]。同日任陸軍中将[3]。
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脚注
参考文献
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