トップQs
タイムライン
チャット
視点

下瀬隆十

ウィキペディアから

Remove ads

下瀬 隆十(しもせ たかとお)は、江戸時代前期から中期にかけての武士。初めは周防国下松藩(徳山藩)士だったが、後に長州藩士となる。下瀬氏10代当主。

概要 凡例下瀬隆十, 時代 ...

生涯

下瀬氏は石見国国人吉見氏の庶流。寛永6年(1629年)、下松藩士・下瀬隆直の子として誕生。

寛永15年(1638年8月1日、下松藩主・毛利就隆の加冠を受けて元服し、「隆」の偏諱と「弥五郎」の通称を与えられた。

万治2年(1659年)、父の隆直は毛利就隆に暇乞いを認められて、徳山藩を離れる事となり、隆十も父と共に徳山からへ移り住んだ。牢人となった隆直は「上領五郎左衛門」と名乗り、隆十も同じく「上領」[1]の姓を名乗る。後に長州藩2代藩主・毛利綱広に召し出されて長州藩士となり、以後、綱広、吉就吉広の3代に仕えた。寛文12年(1672年7月27日に父が死去し、その後を継いだ。元禄9年(1696年)には姓を「上領」から「下瀬」へと復している。

宝永2年(1705年8月15日に77歳で死去。楢崎就兼の次男である頼房が婿養子として後を継いだ。

脚注

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads