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下田丈

日本のモトクロスライダー ウィキペディアから

下田丈
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下田 丈(しもだ じょう、英:Jo Shimoda2002年平成14年)5月16日 - )は、三重県鈴鹿市出身のモトクロスライダー。ゼッケン番号は30。

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2021年AMAモトクロスワシューガル戦でカワサキ・KX250を駆る下田

カリフォルニア州メニフィーに在住し、アメリカのAMA選手権(モトクロス/スーパークロス/スーパーモトクロス)に参戦している。

2023年までモンスターエナジー/プロ・サーキット/カワサキから参戦していたが、2024年からホンダのファクトリーチームであるチームHRCに所属する。

概要

北米モトクロスで史上最も印象的な活躍をしている日本人で、AMAスーパークロス/AMAモトクロス250ccクラスにおけるヒート優勝・総合優勝・ランキング2位を含め、日本人新記録の多くを塗り替えた[1]。序盤ではやや遅れをとるが、後ろから追い上げて勝つことが多い。

全日本モトクロス選手権でタイトルを獲得してからAMAに進出した成田亮などの先輩達とは異なり、下田は10歳で家族と一緒に渡米して、アメリカでキャリアを積んだ[2]

2022年全日本モトクロス選手権の第4戦名阪スポーツランド戦で、最高峰のIAクラス(450cc)にスポット参戦。ライバルを一周3~5秒引き離し、ヒート1では終盤転倒しつつも優勝。ヒート2はオープニングラップでコースアウトし最後尾に落ちたが、たった10分で全車を抜き去ってトップに立ち、最後は8番手までを周回遅れにして優勝を果たすなど、北米仕込みの異次元の力を見せた[2][3]。また同年、モトクロス・オブ・ネイションズには日本チームとして参戦した(予選2位/決勝12位/チーム24位)[4]

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来歴

  • 2013年
    • 全米アマチュアモトクロス選手権(ロレッタリン) 65cc 3位
    • ジュニアモトクロス世界選手権(チェコ) 65cc 5位
  • 2014年
    • 全米アマチュアモトクロス選手権(ロレッタリン) 85cc 3位
    • ジュニアモトクロス世界選手権(ベルギー) 65cc 総合2位(ヒート優勝)[5]。モトクロスの世界選手権での実績としては、1978年モトクロス世界王者の渡辺明以来の快挙となる[6]
  • 2015年
    • 全米アマチュアモトクロス選手権(ロレッタリン) 85cc 3位
  • 2016年
    • リッキーカーマイケル・アマチュアスーパークロス(デイトナ) Supermini チャンピオン
    • 全米アマチュアモトクロス選手権(ロレッタリン) Supermini チャンピオン
    • ジュニアモトクロス世界選手権(ロシア) 85cc 2位
    • ソアーウインターミニオリンピック(Mini O’s) スーパークロスSB2 チャンピオン
  • 2017年
    • リッキーカーマイケル・アマチュアスーパークロス(デイトナ) 250B 3位
    • JS7スプリングチャンピオンシップ(フリーストーン) 250B 2位
    • 全米アマチュアモトクロス選手権(ロレッタリン) 250B 3位
  • 2018年
    • 全米アマチュアモトクロス選手権(ロレッタリン) 250B 7位
    • モンスターエナジーカップオールスターズ(ラスベガス) チャンピオン
  • 2019年
    • チーム「ガイコ・ホンダ」と契約しAMAプロデビュー[1]
      • プロモトクロス250ランキング26位
  • 2020年
    • AMAスーパークロスデビュー
    • スーパークロス250SXイーストランキング3位。ルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得[7]
    • プロモトクロス250ランキング11位
  • 2021年
    • スポンサー撤退によりガイコ・ホンダが解散し、「モンスターエナジー/プロ・サーキット/カワサキ」に移籍。
    • スーパークロスイースト第16戦ソルトレイクシティで日本人として初優勝[8]。年間ランキング2位[1]
  • 2022年
    • 第5戦ミシガンにて、日本人初となるAMAプロモトクロスのヒート優勝、およびイベント優勝を果たす[9]。この年ランキング2位[1]
  • 2023年
    • 練習中に転倒し骨折、AMAスーパークロス250ccクラスはほとんど欠場したが、イースト・ウェスト・ショーダウンでヒート優勝を果たした[10]
    • AMAモトクロス250ccクラスランキング3位。最終戦で2ヒートを制して完全勝利[11]
    • この年開幕となった、AMAスーパーモトクロス(AMAモトクロスとAMAスーパークロスの上位者のみが参加できる)に日本人唯一の出場。開幕戦で最初のウィナーとなった[12]。惜しくもタイトルには届かずランキング2位で終えた。獲得賞金は25万ドル(約3600万円)[13]
    • チームHRC移籍後初戦の11月、スーパークロス・デ・パリ250ccクラスで6ヒート中4ヒートで1位となり総合優勝、「プリンス・オブ・パリ」の称号を獲得[14]
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脚注

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